人間の能力には生まれ持ったものが大きく影響を与えますけれども、ある程度の期間を経てからは習慣により、DNAによる能力を凌駕することができるものと確信しています。
勿論、生まれ持った特質は死ぬまで個性として離れないものです。
それでも正しく等身大の自分を理解して、明確な目標を計画することが出来れば、その課題も明確となるため克服達成が可能であることを色んな場面で経験してきました。


学生時代では、努力だけでは期間的に間に合わないことも有ると思います。
アスリートも現役期間が限られる為に、全ての人に開かれた道ではないでしょう。


ただ、成り得る最高の自分を目指すことにおいては誰にも平等に与えられた機会が有ると確信しています。
そんな中、正しい習慣づけガ出来ることがその近道であると考えています。
『正しいとは、「一」と「止」から出来ており、「一」とは線を表していて、その線上に寸分の狂いなく止まることことである』と東洋思想の大家である田口佳史氏に喝破された経験があります。
それ以降にこの話を上回る説を聞いたことはなく、その考えを支持・信奉しております。


自らが正しい習慣を完璧に身に付けられているとは思いませんものの、かく在りたいと願い続け、良い習慣を身に付けようと日々努力を継続してはいます。
読書の習慣もそれによる物であり、今ではある程度活字に触れないと落ち着かないほどに中毒とも言える程に成れました。
このような良い習慣を身に付けることこそが、成り得る最高の自分への近道であると確信しています。
習慣についてはこの場でも記載したことのある、各著名人が活用されている下記の言葉の通り、ベースには正しい考えから始まるべきなのだと思っています。
とは言え、自分自身の思考が定まらないであろう幼い時期には習慣から先に身に付けたほうが良いことも多分に有るようにも思っています。


最近は、社員教育と言うものに強く意識が向かうようになって来ました。
今までは設立から生き残ることを主眼において活動をしていましたので、「創業」時機であったと言えます。
十年を経てこれからは「守成」を意識しなければいけません。
SDGsと言う物がサミットでも採択されている通り、正しいものは持続可能でなければいけないと思います。
創業当時に「正しいことを証明したければ、継続できなければいけない」と言われたことを思い出します。
世界に大きなインパクトを与えることよりも、今の自らで出来る最高の貢献を世に提供し続けられる体制こそがとても重要だと感じています。


持続可能であるためには、変化し続けることも大切です。
一風堂の河原さんは「変わらないために変わり続ける」を掲げていらっしゃいます。
停滞することなく変化をしていくのは、持続可能であるためです。
打ち上げ花火のようなものではなく持続可能な組織にすることをこれからは重要な経営課題として取り組んでまいります。
このように課題が変わってこれたことも、有難い使命だと思い、ますます良い習慣を身に付けられますよう楽しんで努力を継続してまいります。

米国にて銃による残念な事件がありました。
都度、日本では「何故、銃を規制しないのか?」という議論が起こります。
米国内でもある程度は議論されているかと存じますけれども、この問いに対する私の回答は、「日本で包丁による殺人等が起こったら、包丁の規制の話が出るでしょうか?道具その物の問題ではなく、使用方法に理由がある以上、道具の規制には至らない。」です。


何より米国内では銃の方が平和に貢献していると感じるのです。
自然との共生の中で、人間よりも強い生物と対峙するには、それなりの武器が必要でしょう。
人間同士でも歴然とある力の差の前では武器が必要となっている場面が多いことであろうと推察しています。
残念ながら、人間には倫理観を強制出来ないことは自明の理であるように思います。
その為に宗教を活用して幼い頃からの習慣で、野生を抑え、共生を育もうとしてきたことが人類の歴史でもあると考えています。

世界各国に限らず、国内の地域ごとにおいても様々な文化があります。
それらには背景があり、現在の価値観で語れるものばかりでは無いことが多分にあります。
全国各地で行われているお祭り一つとっても地域によって差があります。
同じ名称のお祭りでも隣町とは少し異なっているものです。


歴史・文化はその土地にいる人が創り出し、育み続けます。
継続は容易ではないので、時代によって変わるべきものは変わっているからこそ、伝統というものに繋がるのであって、全く変わらないものなどなく「万物は流点する」のは事実です。
それでも文化の背景にあります価値観・想いは簡単に変わるものではなく変わるべきではありません。
そこに思いを馳せるには創造した時代に遡り、それから脈々と繋がってきた歴史を知らなければ行けません。


何かを改善するということは、改善するに足るというそのもの自体を認めていることも含まれていると思います。
でなければ、改善自体が無駄になると判断されるでしょう。
改善項目への評価があるのであれば、それに対する敬意が無ければ、良い改善には繋がらないと考えています。
我が社の短い歴史においても、なんらかの文化は産まれ続けています。
革命のように歴史を分断するようなやり方では、周囲からの評価は良くてもゼロ、基本的にはマイナスからのスタートになるでしょう。


何かを批難したり、単なる評論をするだけの人を見る時、祖母から言われ続けた言葉を思い出します。
それは『人を指差したら、三本は自分を向いている。まずは、自分自身が変わるべき、そうすれば世界が変わり始める。世界を変えることを難しいことだと考える必要は無い。』でした。


何かを否定することは簡単ですが、代替案が無ければ、小学生の戯言です。
他の国(他人)の事をとやかく言う前には、まずは自国(自分自身)を正しく律し、相手に敬意を持って接することが事の始まりであろうと思いました。


この世の全ては自分の責任だと思い、与えられた人生を引続き全力で生きてまいります。
そして、少しでも社会に貢献できることを増やし続けます。




月刊致知にて知った言葉です。
自反と聴くと「自ら反みて縮くんば、千万人と雖も吾往かん」を頭に思い浮かべます。
その後に己を尽くしきるが続くことは、生き様として大いに共感いたします。
自らの人生の結果は自らにのみ責任がある事に気づく人間こそが大成していると確信しています。

更には、生きていられるのは、自らのみで手に入れたものではなく周囲のおかげであることを自覚しておかなければ道を間違えることに繋がります。

何の為に学ぶのかを正しく知らなければなりません。
覇道と王道が異なることを我々は知っています。
物質的に富んでも、本当の意味で豊に成らないことは、高度経済成長を成し遂げた我が国においては理解されているている事だと思っています。

しからば、精神的な成長も併せておかなければ、今正に隆興している発展段階の国家においても同じ事が繰り返されるのではないでしょうか?
精神的な成長として何が良い答えになっているかは意見も分かれるでしょうし、正解が一つとは決して思いませんけれども、東洋的思想はその可能性を多分に秘めていることと存知ます。
中国大陸にある長い歴史の中で経験されたことをよく知るには四書五経など優れた文献が沢山あります。
日本においてもその影響を多分に受けており、その中からいろんな思想家も生まれています。
そのような考えに触れる機会を増やすことで、色んな成長を達成することができるのであろうと確信しまして、自らでも学び実行してまいります。


これは西洋の否定と言うわけではなく、猛然と突き進む突破力という点での西洋の力強さは皆様もご存知のとおりだと思いますので、それに東洋思想を加えることこそがとても大切だと感じています。


「上手くいったときは周囲のお陰、失敗したのは自らに全ての責任がある」と言うことは事業家にとっては当然に考えておくべきことだと思います。
ただ、この思想は容易でもないのも事実です。
日々自分自身を振返り、内省をしまして、自分のあらん限りの力を世に出し続けることこそが、何事かを成し遂げる最も早い近道であり、社会に貢献できる正しい法則でもあるのだと思い、日々を大切に過ごしてまいります。


一期一会で、一度の出会いや機会をとても大切にしまして、縁を繋いでいける人格を備えたいと願います。


致知10月号にて対談をされていた、田口さん野田さんとお会いする機会を頂き、更には私自身を覚えてくださっていると言うとても恵まれた機会に感謝するとともに、お二方に知られている私自身が恥ずかしくない成長・実行を実践してまいりたいと存じます。
お二方を知る機会を経て三年程が過ぎております。
自分自身あの頃から少しは成長していると感じますものの、お二方の同期間での成長や実行力に比べますと自らの情けなさを痛感します。
それでも等身大の自分を知ることでそれから何が出来るのか、正しく把握しまして、自らの全力を尽くしていこうと気合を入れ直しました。


色々な方との再会はとても楽しいものの離れていた期間の双方の成長については、いつも緊張感を持ちます。
瞬間ごとに魂を燃やし続けていくことを今後も継続してまいります。

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