January 2015

中学から大学生活は、江戸で過ごせた事も有り、テレビなどで特集される前から、何となく街の中の流行などは体感できていたように思います。
更には流行になる前の大分前の物や結果流行しない物の一部の人にだけ流通したものなど色々と感じることが出来ました。

 
 結果として、江戸を離れて青森や千葉などに入ってからはあまり流行ものには手を出さない感覚が身につきました。
泡沫の様に消えて行く物が多いので、洗練されて残った物を活用するのが自分には合っていると感じている次第です。 
自分の好みの物に関しては流行など気にせず飛びつきますけれども、SNSやスマホなどは大分遅れての参入者だと思っています。
よって、先進的な物を見つけるセンスは非常に弱っていると感じつつも、遅れてでも変化には前向きに取り組むようにはなっています。


 一時の流行で終わる物と世のスタンダードになる物との違いはどこにあるのか?と私が考えるにそのアイテム(商品に限らずアイデア含む)が公的な要素に早い段階で気付いて取り組めるか?そのアイテム自体の奥深いスペックまで踏み込んで考慮できているのかなのではないか?と感じています。
どんなに良いアイデアも公共心が無い物は、廃れ行くのは当然の摂理だと思います。
スタート時には公共心など無くとも、大いなる力には大いなる責任が伴いますので、その責任に適う者にしか継続は許されないと感じます。
その上で、そのアイテムの有用性を世間が認識している以上に知り尽くしているかが更なる分かれ目だと思います。
有用性を知る為には、活用方法を検討し続けなければいけません。
その為には広い世界を知っておくことがより早くゴールに辿り着けるように思います。
公共心を持って一つのことを掘り下げる、そのバックグラウンドには幅広い教養を磨き続ける人格が重要なのだろうと思い、自らの行動を戒めてまいります。

タイトルを略して「経済」となりますけれども、現在良く使用されているのは英語でのEconomyと同意義で使われているように認識しております。


 経済の定義は色々とあれど、いつの世にも重要であることは間違いないと思います。
手段と目的を混同しないように私自身は経済とは経世済民を語源とするべき事であって、私利私欲を目的とすべきでないと考えています。

 ただし、個人としての経済が潤っていないのであれば絵空事とも言えますので、しっかりとした経済力を持って改めて経世済民の価値を訴えられるような人間でありたいと願っています。

 「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」 と二宮尊徳もおっしゃっていますので、寝言にならないよう日々の経済活動を高める努力を忘れずに参ります。

 
 「正しいことをしたければ、偉くなれ」と言うドラマもありましたけれども、「偉い」と言う言葉の定義次第だなあと感じました。
その後、「正しいことをしているならば、継続されなくてはならない」と言葉を聞いた時から、未だ忘れてはならない言葉の一つと思っています。
継続のためには経済は重要ですので、益々日々の活動にエネルギーが高まる次第です。
 

私が最近よく聴いている音楽はザ・ブルーハーツ」の「闘う男」です。

音もさることながら歌詞に多くの力を貰っています。
また、この歌を通じて「戦う」と「闘う」の意味の違いを教えて貰いました。

闘う男(一部抜粋)『』内は勝手な私の注釈です。
「どんな挑戦も受ける
闘う魂なのだ


どんな言葉なんかより
黄金の滝のように
流れる汗を信じているから


肉体を武器にして
ただ一人立ち向かう


燃え上がる情熱なら
『誰にも』何にも変えられやしない


最終のゴングまで
あきらめやしないのだ」

どんな挑戦も受けて、自分自身が汗を流した努力を信じる、自分自身の肉体が全てであり、
一人で孤独に打ち勝つ、何人にもまた何事にも揺るがない情熱・信念を有して、最後まで諦めない。
各有るべく常に自分自身の魂を磨き続けていきます。 

 

「自分の考えたとおりに生きなければならない。さもなければ、自分が生きたとおりに考えてしまう」ポール・ブールジェ Paul Bourget
と言う言葉が最近頭の中を良く巡ります。 

 周囲にさも未来が見えていたかのように行動と実践をしている方々がいらっしゃいます。
これは、私と同じ情報を見ながらも読み取る能力の差で、未来を予見すると共に自らで引き寄せる努力を継続しているからこそ達成できているのだと思っています。
そんな時にやはり冒頭の言葉が頭を巡り未来を引き寄せるには日々の行動の積み重ねでしかないものの、出発点はやはり思考なのだと強く感じ入る次第です。

 正しい理想を掲げ、達成の為の努力をする。理想が実現した世界を強く思い描くことで自分へのエネルギーにもなりますし、周囲を巻き込む大きな力になることと存じます。
短期目標と中長期目標共に大事ですけれども、長期的視点がなければ短期の目標は正しく積み重ならず、結果として生きたとおりの思考になってしまうのでしょう。
人間の可能性は無限大、今できないと思っていることでも将来的には達成できることが多々あるのだということを確信して、自分の夢の実現に向けて行動を継続していきます。
原点である思考能力も常に向上できるよう研鑽を積んでまいります。

新年明けまして、皆様健やかにお過ごしのことと存じます。
私自身は今年も例年通りの年明けを迎えております。 


 新年をここ十数年起きて迎えたことは無く、目が覚めた時には新年と相成っています。
朝起きましたら、斎戒沐浴をしまして、その後妙見様へのお詣り後に朝食です。
豆腐のお吸い物、豆腐の御味噌汁、黒豆、お米と言ったものが3日間続きます。
大変健康的ですけれども、お昼までは中々お腹が持たないという特徴があります。
そして、ご先祖様のお墓参り、最近は3社参りをしておりますけれども、今回は縁あって5社参りとなりました。

 お昼と夜は1月3日の日が落ちるまでおせちを頂きます。
最近は、お昼以降に書き初めとして、新年の目標を書しまして、居間に掲示します。
今年は、「毎日学習 毎月書道」「禁酒百日」が昨年同様で、「貞観政要」「慎独」「3年以内にフルマラソンに挑戦」 
を新たに掲示しました。


 年末から新年を迎えるにあたり色々な事を考える機会を得ました。
今年は、もっと「野性的に行こう」と決めました。
KAILなど素晴らしい場を与えて頂いた分、背伸びした面も否めません。
そもそもの私は、考えるより行動が先、感情を全面に出してしない後悔より実行の後に反省であったのが、少しインプットとアウトプットのバランスが崩れたように思います。
つまりは、本能で動くよりも理性や知識を重視しすぎて、直球力が弱まっている様に感じるのです。 
勿論、本能と理性双方が重要であることは十二分に承知しておりますけれども、自分の強みを発揮する事を大切にしようと考えている次第です。
インプットする喜びを知った分、どんどんアウトプットして行きます。

 
 また、野性的と言う意味合いには個人の体力や戦闘力を高めたいという思いも込めています。
どんな肩書が付いたところで、人間として正しい行動が出来ていなかったり、自分自身を失わずにどんな環境でもやっていけないのであれば、当然評価に値しません。
自分自身の肉体一つでどこまで何が出来るのか、しっかりと基礎力を身につける年にしていきたいと思います。
今年で30代最後の年を迎えます。
今迄もそうですけれども、常にかけがえのない一瞬一瞬を大切に積み上げて自分自身でしか掴めない未来を勝ち取るべく愛と笑いを忘れずに進んでまいります。

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