July 2015

タイトルを見ますと有る個人を思い浮かべそうですけれども、今回は稲盛さんが書かれた本のタイトルです。
本書を読んで、改めていつから日本人は一所懸命働くことを失い始めてしまったのかと感じました。
働くことは恵まれていることであり、素晴らしい美徳だと思っています。
決して強制されるようなものでは無く、自分自身の付加価値に応じて社会からの報酬を手にすることが働く事への正当な対価だと思います。


一番の変化で危惧しておりますのは、報酬イコール金銭面のみの価値観が横行し過ぎているように感じることです。
人とのつながりによる精神的安寧などは金銭で解決できるものでは無いと思うのです。
良く言われている様に「愛は金では買えない」と言う事に賛同します。
かと言って、経済を軽く見ているつもりは有りません。
「愛は金でより豊かになる」可能性は高いと考えています。


経済は大切ですが、それ以上に志は大切であると感じさせていただいた本でした。
エネルギーは自らが持ち続けなければならないのは勿論の事、類まれな情熱から生み出される強いエネルギーを持った人間は正しい志が無ければ、悪影響を与えてしまいます。


欲望はエンジン、理性はエネルギーと言う言葉もあります。
稲盛さんが無私の想いで構築したものを高い感度で感じ取る事が出来る人間は正しい行動を継続しなければならないと感じたところで、 では、自らが何を成すべきか?
深いレベルで自問自答をしていきたいと思います。


 

本年の相馬野馬追は中部東海公志園と重なる日程でした。
野馬追に関しては大殿から声がかかった以上、他の物と比べることは無いのですが、KAILや公志園を経験したことで野馬追への想いがより高まっているのは事実です。



自分とは何者で、どこから来てどこへ行くのか?そのような問いを続ける中で、私自身は恵まれていてミッションの一つに相馬藩の継承が上げられます。
これは、ライフワークと言う者でも無く自分自身の血や骨に刻まれて与えられたものであります。
ただ、思考を深める中で与えられたものをただ守り抜くと言うのは少し異なるのではないかという考えに至ってきました。
当然、野馬追は時代背景と共に実際にやっていることには変化を生じています。
その中でも引継ぐべき事と変えてよいことを常に思考し続けて、地域の安寧を図る事を唯一の目的としておかなければ、暴走の発生や質の下落などが起こり得る可能性が高まると思います。


自分自身の思考を深めると共に今回現地に入って感じることをしっかりと魂に刻み、これからの人生を利他の精神で過ごす為の手段を模索していこうと思います。


いつも感謝の念が頭の中を巡ります。
私は恵まれているので、これを如何に世の中に還元していくか、それこそが私自身の使命の原点にあるように確信を高めております。
一週間後に行われる血沸き肉躍る行事に赫々たる武勲を上げてまいる所存です。
その為にもしっかりと準備をする貴重な時間を過ごしてまいります。


愛知には入れませんが、情熱をもってその後に接していきたいと考えております。

 

飯塚に定住して10年、毎年何らかの形で飯塚山笠に携わらせて頂いております。
江戸などでは失われがちな地域コミュニティを力強く感じる時でもあり、7月末の野馬追への気持ちの昂揚を意識する機会にもなります。


ただし、年々体力的な不安を感じる物でもありますので、いつまで参加できるのだろうとも思っています。
年輩者でも元気にされている所を見るとまだまだ参加すべきかとも思いますけど、私程度の関わりの場合は同世代では出ないようになってきています。
日頃の体力錬成を改めて意識して長く参加できるように務めたいとも思います。


山笠の効用は、会社組織でも活かせるように感じる機会が多いです。

情報の伝達が混乱しても成立するものがある事、
理不尽が多く横行してもこの程度の期間であれば我慢できる事、
混乱状態の中の情報では最新情報を掴みとる事に価値がある事、などなど沢山の反面教師的な要素としても存在してるように感じます。
否定してるのではなく祭りと言う存在が何であって、常に学ぶ姿勢を持とうとすればどんな環境からも学べるものだと感じることの方が強いです。


祭りは、地域の安寧と繁栄を願うものであるのだろうと考えています。
飯塚山笠を通じて飯塚市が活性続けることを願ってやみません。



 

『男は40過ぎたら自分の顔に責任を持たなければならない。』

中学生のころから周囲に良く言われた言葉でした。
「そんなもの親の遺伝でしかないだろうに」とその当時は考えていましたが、今なら言わんとすることがわかるように思います。
話していて気分の良い方や、もう一度お会いしたくなる方は総じて地顔が笑っているように思います。
そう言った方はシワの入り方も笑顔ジワですから、普通の顔が笑顔に見えます。
私自身はと言いますと良く「怒ってるのか?」「つまらないのか?」と聞かれることが多い残念な顔です。

この事に気づいたのが30代半ばでしたので、それ以降出来るだけ鏡の前で笑顔を出す練習や話を聞いている時は笑顔を出すように務めています。
まだまだ笑顔歴が浅い為、「胡散臭い」「作り笑顔」と言われるような評価しか頂けていませんが、どうにか笑顔が普通顔になれるよう努力したいと思います。


パソコンに向かっている時も笑顔に務めている自分はおかしいのではないかと思いつつ、やはり魅力的な方はパソコン作業でも無意識に笑顔の様です。
サービス業のプロフェッショナルまではいかなくとも、「近寄りがたい」評価からは「話すのに抵抗ない」程度に40を迎えるまでに達したいと思い、トレーニングを続けます。 



 

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