May 2016

先日、ISLの15周年記念式典に参加してまいりました。
大変多くの刺激を受けました。

ISLは、私が深く感謝しているKAILの基となる教育プログラムを構築した組織であり、
KAILも有難く兄弟分として努力を続ける必要が有るだろうと思っています。 


ISLが15年で成し遂げている事にもただただ感服しておりますし、第二の創業と位置付けた今後の活動も大変精力的でチャレンジングです。
私自身、今後もかかわっていきたいと思いますし、歴史の大きな転換点となる行事に立ち会えたものとそのご縁に深く感謝しています。


15年を経て始めることは設立当初に考えてもいない手法でしょうけれども、軸は全くブレルことなく進んでいることを感じます。
果たして、私がそれだけのことを今成しているのか?考えています。


弊社の創業時に自分で決めた会社設立の意義や精神は下記の通りでした。

◆ 多くの経営者を育てる組織とする
◆ 程度を大切にしながらも常に全力で業務に取組む
◆ 今ある社会は諸先輩から受継いだものであり感謝と共に享受し、更に発展した未来を構築して次世代に渡す
◆ 社員のベクトルを揃え、会社を成長させ社員・会社の双方がメリットを享受する
◆ 努力した人間が正当に報われる価値基準を設定し、明確に報酬として還元する


ISLの式典には一年に一度は読み直す本である「戦略プロフェッショナル」「経営パワーの危機」「V字回復の経営」の著書である三枝匡さんもいらっしゃいました。
10年越しの大ファンでしたので、ご挨拶をさせて頂きましたけれども、三枝さんは現在の会社(ミスミ)の経営をされる際に
日本で弱まっている経営者を最も輩出するために請け負うと宣言されていました。
それを受けて私も創業の精神に入れておりましたけれども、弊社組織においてはこの点は遅々として進んでいないように思います。
創業から10年を経て、ある程度別事業にもチャレンジしていますので、経営者を育成する場は整いつつもあるように感じます。


それでも経営者として最も肝要な、「何故事業をするのか?」の問いを考え続ける社員が確実に育つ組織にはなっていません。
経済状態としては日本のプレゼンスが間違いなく下がっている中、経済のみならず徳の部分でも日本の価値を高めるための人財は今後の未来を託す次世代に必要不可欠です。
ISLは日本を強くするために、世界で発信することを選択されました。
その思考の変遷において、東日本大震災は多くの影響を与えたそうです。

私自身にとっても東日本大震災は大きな思考の大転換点でした。
成りたい未来をしっかりとらえ、如何に日々を大切に過ごすか、これからも一生懸命考え続け、行動を止めずに進んでまいります。

この場で宣言しておくと達成できることが多いですので、記載しておきますと、
ISLが第二の創業と位置付ける平成30年から開始される予定の「至善館」の第一期生として入塾できるよう尽力します。
その為にも全プログラム英語で行われますので、自分の英語力を日々高めてまいりす。


多くの刺激を受けた式典に参加できたことに感謝して、自分達の5年後をしっかりと見据えると共にますます楽しんで社会に貢献してまいります。

人生における喜びは人それぞれあることだろうと存じます。

そんな中で人生の多くの時間を費やす仕事と言う物において何をもって喜びとするかは個人の価値観によるものですけれども、仕事への姿勢や周囲からの評価に大きな影響を与えるものだと思っています。 


仕事での喜びで一義的に出てくるのは、報酬だろうと存じます。
私にとっても労働賃金は日々の糧でもありますので、重要であり軽々に判断することではありませんけれども、日々個人の報酬に頭が向いているようでは良い仕事は出来ないように思っています。
年に一度、真剣に自分の成果と向き合って、評価を貰ったら、それ以降は高い目標めがけてまた邁進するのみだと思います。
評価に納得していないからと言って、手抜きの仕事をしていては、結局の所自分の評価や能力を下げることにしかつながりません。
全力をもって3年取り組んでも納得のいく評価をされない組織であれば自分とフィットしていないと捉えるべきでしょう。
ただ、一般的には満足する報酬とは現行の2倍であって、対外的に比べたり、他業界と比べる方は少なくて、自分自身の感覚と社内での差でしか判断していないようですので、正しい評価をされているかは転職した際に倍程度の報酬を貰えるかが納得解であるようにも思っています。


という事で、私の仕事の喜びはあまり報酬のアップダウンに依存していません。
(繰り返しますけど、報酬はとても大切なもので低くて良いとかは思う事は無く、納得のいく企業に務めることで、報酬に心を奪われ過ぎない環境が大切だろうと思っています。)


そうすると、どこに喜びを見出すかと言えば、一つは自分ではない人の成長を感じた時です。
部下員に限らず、接した方になんらか少しでも影響を与えて、行動が変わったりしたら、掛け値なしにとても嬉しいです。
人の成長に携われる業務は本当に幸せを感じます。
ただ、人の成長にスコープをどんなに当てても自己満足との境目がどうしても明確には出来ません。
こちらの押し付けになってはいけませんので、やはり仕事の喜びのメインとはしないようにしています。


それでは、何を一番の喜びとしているかは、私が構築した制度や仕組みが自然と回っている状況を確認できた時です。
導入当時は抵抗されたりしたとしても、ある一定期間を経て定着すると、以前の環境には戻る気にならず、当たり前に変化を受け容れていて、更なる推進に向かっていたりすることを幸せに思います。


KAILの学びで時間を刻み教える人ではなく時計を創る人になりなさいと指導されたことが有りました。
時計が無い時分に時間を刻み教えることが出来る人は、とても重宝され優遇されていたことと存じます。
それでもそのようなコンフォートゾーンに甘えるのではなく、誰でも時を刻めるように時計を創り出し提供して、自分自身は更なる価値提供に進んでいく事が出来る人間で有り続けたいと思います。


出来なかったことが出来るようになった事実だけで終わらず、それが他の人にとっても学べて、更には成長が持続可能な状態に持っていくことこそを喜びとして行く所存です。
その為に必要なのはやはり生涯学習であり、自らの徳を積み続けることでしかないと思います。
生きている間に評価されないことも有るかもしれませんけど、それでも中長期的に社会の役に立てる人間になるべく日々どん欲に学んでまいります。


個人的に成長していくれているスタッフへの喜びを感じながらも、自らの戒めとして自分のやるべきことを考えてみました。

小中高大が集まっての毎年の体育祭の最後に当時の学長は決まって、
「我々の競争相手は無限大の大空と確固たる大地である。赤組も白組も良く頑張った。明日は休みだ。」
と言う定型文で締めていました。


最近、評価面接や信頼できる仲間との会話から考える機会を得ました。
何のために働くのか、誰のために働くのかなども含め、人生は他の誰でもない自分との闘いが全てないのではないのだろうかと思うのです。
以前は自分に無い物を欲して悔しがる機会が多かったように思います。
当たり前ですけど、自分に無い物は有りません。
全てを欲しても手に入れることが出来るものは限られています。
そこで漫画のワンピースにもあった通り、『失ったものでは無く、今あるものは何だ』と言う考えに至りました。
更にはKAILにて『成り得る最高の自分に成る』と言う言葉を知り、
周囲と比較するのではなく宮本武蔵で言うところの『今日は昨日の自分に勝ち』で行こうと考えています。


『慎独』も教わりましたので、如何に自分が自分と闘っているかで結果は出てくると信じています。
誤解をされたくないのは評価するのはあくまでも周囲や他人ですので、自分自身の闘いだからと評価を無視してはいけないと考えているという事です。
結果や評価は受け容れつつも行動は自分自身の信念に基づいて今後も活動を続けてまいります。

とどのつまりは『自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖も、吾往かん』で今後も一喜一憂するのではなく内省と共に有限の人生を充実させたいと思います。


この信念に辿り着くには、自分の思考を深めると言うだけや知識として言葉を知るだけでも足らず、周囲からの愛や尊敬できる仲間の存在が必要だろうと思っています。
その辺の周辺環境についてはとても重要だと考えていますので、また別途どこかで記載したいと思います。






最近、実家の整理中の部屋を覘く機会があり、その際に興味深い本を何冊か見つけました。
出所を両親に尋ねたところ祖母が読んでいたことが判明しました。
そう言えばと思い、実家の大きな書棚を改めて見てみると今まで買おうか迷った本や興味ある著者の本が沢山並んでいることに気づきました。
食堂からも見える所にあるので、今まで全く見ていながら、見えていなかったと感じました。


塩野七生さんが伝えるカエサルの言葉として『人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない』を自分自身に感じました。


最近、私にはよく出典元がわからない物の上記の『人間は欲するものしか見ない(見えていない)』を意識する機会が多いです。
皆、自分本位と言うだけでなく見えている世界は自分の目を通して、自分の感情を通じて認識している事ばかりです。
本当に客観的に物事を見るのは大変に難しく主観的要素をどこまで意識して物事を論じていくかの価値を考えます。
殆どの方が自分の人生を主体的に生きていらっしゃるでしょうから、現状の結果を他責にはされていない物と存じます。
ただし、弱き人は他責の感が強く見受けられます。
これでは、なかなか議論は噛み合わず、これだけ恵まれた日本でそのような発想をしている方々とは距離を置いておこうと以前から思っているのでそこはあまりい気に留めてもいません。


私にとって最近厄介だなと思うのは、「自分自身は物凄く正しいことをしているのに周囲が気付いておらず行動を共にしないので、残念だ」と言う論調の方です。
何をもってご自身が正しいと思っているのかは常に他者からの評価でなければ認められないだろうと私自身は感じていますので、周囲が気付きもせず動きもしないのであれば、
その最大の問題は自分自身の言動に他ならず、周囲からの指摘には謙虚に耳を傾けるしかないのだろうと思うのです。
特に個人の名前で個人の活動をされている分には影響は御自身にとどまりますが、団体で動いたりする場合は個人活動以上に周囲に影響を及ぼすことも留意しておかなければなりません。
事を成すには覚悟がいるという事を正しく理解してその信念を養い、一歩一歩を大切に歩んでもらいたいと願います。



全てにおいて原因自分説は精神の安寧を与えてくれるものと確信しています。
周囲のせいにできるのであればそれは簡単で短期的には落ち着くかもしれませんが、中長期的には結果も変わらず悪いことに繋がってしまいそうです。
心を閉ざさなければご自身の精神を保てないのであれば、少し静かにして頂いて周囲にまき散らすのは迷惑千万ですし、中長期的には御自身にとっての損にしかならないよう思います。
私自身が、そのように謙虚であり続ける為にも本棚を見ながら想いを馳せたことを記載しておこうと思った次第です。


人生は容易ではなく短期的ではありません。
それでもこのように生を受けたことに深く感謝をして次世代にとって少しでも喜ばれる中長期的な付加価値を提供したいと願います。

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