August 2016

メディアと言う媒体には色々なものが有ります。
私は、特段メディア論を持っておらず、提供されているものをただ受け取っているだけと言えます。
学生の時にはテレビっ子と言われてもおかしくない位テレビを見ていたように思います。

最近では、テレビを見る機会は格段に減り、ネットで自分が探して興味のある動画を見ている時間の方が多いです。
そんな中、ご縁もありラジオを聴く機会が増えてきました。
私は移動時間が多いので、本を読んだりするなど、できるだけその時間の有効価値を高めようと考えておりました。
以前は車の運転の際にはハンズフリーでの電話を多用しておりましたけど、最近はめっきりラジオです。


中学生~高校生の頃、試験勉強の時にはラジオは大変重要な友達でした。
試験が無くとも部屋にテレビが無い頃はラジオを聴きながら寝たりしていました。
翌日の仲間との会話も中学生まではテレビよりも圧倒的にラジオの方が強かったように記憶しております。


ラジオとテレビをついつい横並びで比較してしまう物のこれは全くの別物であり、我々への染み入り方も異なるように思います。
視聴率と言う結果によって何人にリーチ出来るのかは当然異なりますので、アプローチの仕方から色々と違いがあります。
以前の私にとっては新たな扉を開いてくれるものであり、音楽の世界はラジオによって大きく開かれました。
現在は、話術を勉強させていただいています。
どのような話し方が伝わるものなのか?その為には良い物も悪い物も比較した方がより分かり易いと思いますので、メインチャンネルは持ちつつも色々なチャンネルにも切り替えたりして、学んでいます。
当然ですけど番組によっても個性があり、色々な化学反応を大変楽しく感じます。


表題は、恥ずかしながら最近知った音楽のタイトルです。
何度も繰り返し聴いてうなずいている次第です。


これからも世界は変わり、技術革新は起こるもののラジオと言う媒体は生き残り続けるのだろうと思っています。
インターネットやテレビは辿りつけない世界をラジオは確実に持っていると確信しています。
私の子供達など次世代が果たしてどのように捉えるものかメディア論を持たない私には想像もつきませんけれども、私自身は想像力を掻き立てられるこの映像が無いメディアを今後も聞き続けてまいります。
アプリやSNSなどとの共存も素晴らしい効果を生み出すと思います。

最近、あまりラジオを聞かれていないという方がいらっしゃいましたら良質のコンテンツを是非聞いてみて頂きたいと思います。




 

理性は大切ですし、私が常々記載する志や信念は理性の賜物でも有ると思いますので、野性よりも重要であると理解しております。


その上で、実行力を持たない全ての方におかれては、少しくらいの野性味が有った方がシンプルに行動できるのでは?と言う考えです。
何事にも継続するには情熱が無ければ仕組みだけでは難しいように思っています。
情熱の根源は本能に近い部分を如何に火を着けるかなのではないかとも考えたりしています。


なんだか消火不良でモヤモヤしているならば、運動をして汗をかいて色んな物を吹き飛ばし、原点に回帰する事で、行動力が身につくのではないかと思うのです。

知性だけに頼っていたりしますとやらない理由を多く見つけてしまう点もあるように思います。
そもそもの目的は行動をして何かを成したいという事が多いのではないでしょうか?
是非、行動が伴わないことが多いと思われる方におかれましては、野性化をして、シンプルな思考になられてはいかがでしょうか?
生存欲求のみの状態になった人間はある意味強いです。
それでもベースにはやはり知性を積み上げておいた方が宜しいとも考えています。
結果として「七十にして心の欲する所に従って、矩をえず」と成れることが望ましいのではないでしょうか?


やはり、心の欲するものこそが情熱をもって行動できるものだとするならば、ある意味での野性化は重要なのかもしれません。
暑い夏の日々が続きましたので、テレビ鑑賞や読書などを深められた方が多くいらっしゃるかもしれません。
その知性・知識は実践して初めて世の役に立てるものであります。
皆で行動をして、しっかりと成果にコミットしていきましょう。


「四十にして惑わず」を何度も頭の中で繰り返しながらも、行動力と言う大切な推進力を落とさないよう私も野性味を失わず、自然と共にあれる生活を意識して取り入れ続けていきます。


「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉を驚きながら実感する今週でした。 

表題は、飯塚病院に隣接している麻生塾専門学校の中を歩いている時に見つけた言葉です。
 
この言葉に大きな衝撃を受けました。
高校卒業して社会人になる前にこれだけの心構えがあるという事と、
大切にしたい価値観を非常に伝わりやすい表現でされていたからです。


何事も自分で決めている人生のはずなので、その言葉行動に責任を持つのは当然だと思っています。
日本は大変に恵まれていて、自由が多くあります。
この日本で息苦しさを感じているのであれば、それは世間知らずでしょうし、狭い世界で生きることを決めた証拠でもあるように思います。


これだけ職場を選択する自由や、住居に関する自由を与えられているのに自分の環境をただただ嘆いているだけなのは淋しい限りです。
環境を憂うのとただ嘆くのは異なります。
それは、次の行動に繋がっているか?一歩を踏み出すか?という大きな違いです。


職場においては、理解できていない中での上司の命令もあるでしょう。
それでもそれを実行するのを決めたのは御自身なのではないでしょうか?
社会主義国家では、命令違反は即、死を意味する場合も有りますけど、日本においては特殊事情以外それは無いでしょう。
その特殊事情も恐らくはご本人が蒔いた種によるものだろうと推察します。


ロクでもない上司が居たとして、社会的に問題な業務指示が発せられても、それを守らないことによってお咎めを受けることがあるでしょうか?正当に主張しても直属の上司でなくトップから処罰の対象になるとしたら、その組織に属している意味は何なのでしょうか?
経済の為に今の職位にしがみつくというのは嘘だと思っています。
それまでに自分に実力を身に付けなかったがために外で勝負出来ず、個人の信念通りに行動できないと言うご自身の弱さではないでしょうか?
実際に話を聞いた時にそもそも信念などなく流されて生きてきたがために、上司の言わんとすることを正確に理解できずにやりたくないことから表現含め転嫁している方が多いようにも感じます。


夢を語るときには自分だけがハッピーになるものであってはいけないと思いますし、役職や立場、絶対的な報酬だけを設定するのもいかがなものかと思います。
役職、立場、報酬は全てツールでしかないはずです。
一時的な目標には成り得ても目的に設定すべきことではありません。

人を楽しませることが夢の方はその影響人員が、結果として一人であるか、一億人であるかの違いは有っても、夢の到達は諦めなければ叶うと信じています。


先日、高校生の夢を聴く機会が有りました。
皆、夢を語ることはできても叶う物なのか不安そうでした。
私がお伝えしたのは、
「夢が自分だけではなく人の幸せにも通じるものであれば必ず叶う、その為には自分自身が強い覚悟を持ち決してあきらめないことが何より重要、それに加えて如何に応援団を増やせるかが大きな夢に力をくれる」と言う点です。
人間は弱くも有り、信念の前に立てなくなるような思いになる時もあってしかるべきだと思っています。
その時に力をくれるのは周りの支えであり、その支えを作れるかは当人の情熱であると思います。


会社経営に10年携わって、私にはまた大きな夢が見えてきました。
この日本を力強いものにしていきたい、その為には正しい経営者が必要と考えているので、僭越ながら経営者を育てていくことに関わっていこうと思います。
設備・施設管理を通していても、日本・世界への貢献は絶対にできると確信して事業を継続してきました。
これから更なる夢に向けて一歩づつ進んでいく所存です。 
これまた自分で決めたことですので、最後までやり通します。

表題は使い古されている言葉でもありますけど、最近改めて感じることがありましたので、今の自分の考えを記しておこうと思います。


チャンスは誰の前にでもゴロゴロしているものの掴むかどうかの覚悟の前に掴むことが出来る準備をしているかが重要だと思っています。
チャンスの神様の髪の毛は前髪しかなく通過したと思ってから手を伸ばしても後姿を拝むだけで、掴み取ることはできません。


「~があれば、●●出来るのに」「~になったら、いつか行動する」「急に言われても・・・、」「今までそんな立場になかったので、、、」などと言う言葉は私には言い訳にしか聞こえません。
本当に強い人間は周囲の環境に因らず実行をしていると思います。
周囲を言い訳にするようでは一流になれないとは先日のラーニングフォーラムのスポーツ選手の言葉からも理解しましたが、思考が止まっている人間の多さに驚いております。


自衛隊の時にも「思考を止めるな」とはよく幹部連中も口に出していました。
指揮命令系統は一本化されていなければいけないので、部下員である内には意見を求められることは大変少ない組織でも思考を止める危険性を指摘されていました。
いわんや民間組織で思考を止めたような人間が居られるのは相当なルーティンワークにしか従事しておらず、いづれコンピュータに取って代わられる予備軍であると危機感を持つべきだと思います。


いつ状況が変化するかわかりませんので、常に備えておかなければいけません。
休日に街を歩いている時、たまたま乗り合わせたELVのなかで起こる機会かもしれません。
事前に分かっている機会よりも偶発に近い縁の方が多いことでしょう。
その縁を手繰り寄せられる人間こそが『運が良い』と言える人なのかもしれません。
だからこそ日々の研鑚に価値が有って、頂点を極め続ける方の努力が容易ではなく素晴らしいものであると理解できるように思います。
それはチャンスにおいてのみでなく危機においても同様と言えるでしょう。


どんなに思考の準備をしていても、現実に起こることは想定外のことが多く更なる引き出しを求められるビジネス環境が生き残るためには必要な環境であるにも関わらず、その役職につくまでその立場に思いをはせることなく今のポジションの視点だけで考えているのでは、上司は決して役職を上げようとは前向きに思えないでしょう。
そのような人間が玉突き人事で上席になると、最も困るのは部下員です。
常に一歩上の目線で思考をし続けなければ、今のポジションに留まることを自ら希望しているようなものであり、当然の結果として待遇も向上することは無いでしょう。


どうぞ夢を持ち、高い志を忘れることなくご自身の人生を大いに楽しんで歩んでもらいたいと思います。
次の世代は常に諸先輩方をしっかりと見ています。
自分たちの後姿が誇れるものであるのか、意識しておきたいものです。


文武両道を常に磨いていきたいと私は思っています。
文武の文が先に来ていることも重要で、正しい知識を持ったうえで正しい思考を深め、志を高めることが何より重要です。
その後の武は肉体改造が目的ではありません。いつの時代においても喧嘩が強いことが最高では無いのです。なぜならそれはある一定の年を経ると下降しかしなくなるからです。
戦国時代でも単一の力比べにおいて相撲取りに勝てる武将はほとんど居なかったことでしょう。
その力への対抗力は剣術等があったからと言うだけではなく、長期的には何よりも人格によって納めた物だと信じています。
現在の「武」の力とはビジネス力であります。
正しい結果を出すことを強く意識して、日々の思考力を高め力強い実行を推進していきます。


今この瞬間で一歩前に出るのか、コンフォートゾーンに居続けるのか、それは個人の判断によるものでしかありませんけれども、明るい未来を築き続けられるのはいつの世も一歩前に出る人間でしかないと確信して、私はまた一歩前へ踏み出してまいります。

 

↑このページのトップヘ