May 2017

『不安な個人、立ちすくむ国家』
http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf

お取引先に紹介されて見た資料が上記のものでした。

経産省の若手が作成されたとのことで、示唆に富むもので有ると感じますと共に世の中に評論家が増えすぎていることと、何かあれば改革を求めていることを実感させる寂しいものでもありました。
今の日本のおかれた状況は悲観すべきものなのでしょうか?
諸外国に比べてとても恵まれた環境に有ると思います。


1980年代の日本と比較すれば出来なくなったことは多分にあることでしょう。
それは世界の趨勢の中で稀有な環境におかれていたと言う背景を無視しているもしくは世界の趨勢を理解していないことの表れであるように思います。


大東亜戦争後の70年で如何に歴史が分断され、短いスパンでしか物事を考えられなくなっている習慣が身についてしまっているのかも知れないことを感じます。
もしかすると以前から人生の現役期間30年程度で考えてしまうのが当たり前なのかもしれません。
それでも歴史から学ぶことよりも経験則が重要に感じてしまっているようなのは人類の歴史を生かせていないようで残念です。
人類は常に経験したことの無い変化にさらされ続けていると言えます。


過去を振返って評価するのは未来を予測することに比べれば簡単であると言えます。
私は先人が経験して分かったことをこれ見よがしに評価することにあまり意味を感じません。
先人の経験を踏まえて現役世代の我々が歴史を歩んでいます。
改革を意識するのではなく常に改善を積み重ねていくのが、2600年を重ねると言う私どもの勤めであるようにも思います。


若手が作られているそうなので、若手よりになることは当然でしょうけれども、「若者の社会貢献意識は高いのに活躍できていない」と言うのは疑問が残ります。
私の周りには若手で社会貢献をしっかりして活躍している人間が沢山います。
活躍できていない方は活動していないだけのように思います。
思っていても実行動が伴わなければ認められることは有りません。
相手に慮ってもらうことだけを期待していては、通常の社会活動においても評価をされることは少ないように思います。


興味深い視点は、年配の方がつながりを求めていることや働いている人間や3世代同居の方の方が生きがいを感じていると言うことです。
あまり知られていない事実として、治療費の3分の2近くが晩年に費やされる点は世間からも今後着目されていくものだと思いました。
政府支出の内訳においても現役世代や子育て支援よりも高齢者に使われていることも議論の対象になることでしょう。
なによりも勤労者が高齢者を支えると言う考え方からパラダイムシフトして、子供を大人が支えるとすれば、子供を支える大人(子供一人辺りに対しての大人の数)は増加しています。


社会を変えられ無いと思う輩はいつの世になっても変わらないことでしょう。
ネットとのつながりにおいても、情報を正しく使えないことも今に始まったことでは無いように思います。


課題先進国である我が国は恵まれた環境にあります。
公に頼らず民で多くのことを成し遂げている人間は増えています。
公志園の活動はその最たるところでしょう。


公に求めることは志・信念に燃える民の力を大いに活用できるような法整備がなんであるかと考え実行していただくことかなあと思った次第です。
やはり、評論家ではなく生きている現役世代として自らの意思で一歩前に進むことが何より肝要だと思います。
自分自身は生きている限り常に現役として世間に責任を持ち、自らの信念に基づき、より良き社会の創出の為に尽力してまいります。

歴史は勝ったものが残すものであり、個人のバイアスを全くに削除した歴史書では面白みも無い為、一つの時代を読むにも多くの歴史書から学ぶ必要があると常々感じています。
今回は、読書家で知られる出口さんの本を読んでワクワクする歴史観に触れることが出来ました。

人類は環境が変わっても本質的には同じ習性があります。
歴史の転換点は、ある一人の行動によって変えられ、それ以前と以後では思い出すことも出来ないくらいの変革がなされる連続です。
歴史が残せるようになったことは、人間の倫理観を大いに高めることに寄与していると感じます。


動物であれば、生きている今がとても大切ですが、歴史を残せる人間は自分が後世に如何に伝えられるかを意識することは行動に影響を与えていることでしょう。
また、歴史の流れをどれくらいで考えるかによって、色んなものを見る角度が変わってきます。
100年単位で見える景色と1000年単位で見比べる景色には当然違いが生まれてきます。
海外の仲間を作る際にも相手の歴史を知り、敬意を払うことで距離はぐっと縮められると思います。
これは、国内でも同じ話で、自分たちが大事にしている歴史などをお互いが共有することで、未来志向においても価値観揃えが進む感じます。


永い歴史で見るとやはり今の日本は大変に恵まれている環境であると思います。
勿論、バブル時代に世界のGDP第二位の国家であった時代に比べれば、経済的にはプレゼンスが下がっていますけれども、その分徳は積まれているようにも思います。
現実的に国土も小さく人が住める場所が限定的である以上、大陸と対抗していくのは容易ではありません。
中国と言う大陸が大きすぎることもあり、国内統制に時間がかかるため、海外への影響が弱まったままですが、いづれは強大国として復権することでしょう。
そのような強国とどのように付き合っていくのか、短期的な目線ではなく、長い歴史観を有しあう民族同士で考えておく必要があると思います。


『国破れて山河あり』国体は変われどもそこに住む人は存在し続けます。
2600年恵まれて国家の主権をほとんど奪われること無く、継続してきた国家としてこれからの未来像を考えていくことが大切だと確信しています。
それは、国民の総意としてではなく、少数のリーダーが決断していくことになることは歴史の流れでもあります。
未来に向けて様々な話し合いをしていきたいと思います。


歴史に学ぶことは沢山あると感じている次第です。
海外の方との交流にも大いに役立てていきたいと存じます。

世は無常で絶えず変化をしていますけれども、どの程度の方が未来を見越せているものなのでしょうか?
そもそも未来を見用途する方も少ないのかもしれません。
更に少数なのは、自らが求める未来を創り上げようと真剣に生きている方々でしょう。

コンピュータが世に出て百年足らずで人類に与えた影響はとても大きいですが、それ以上にインターネットと言うものの存在は大きくインパクトを与え続けているように思います。
これらの集合体が見せる未来を果たして何人が予測できているのでしょう。
私自身がイメージしていたネット社会とは進化の度合いに大きな差が有ります。
20年前には全くもって読めていなかった未来が沢山散見されます。


更に進化を続けているネット環境が人類の生活をどこまで変えていくのでしょうか?
先日読んだ本では、「資本主義体制が変わる」と言及されていました。
今の私には想像も難しい社会ですが、封建的社会や君主制の時代に生きていた方々も資本主義を目指していたわけではなく、あるがままの現状を受け入れていらっしゃったのだろうと思います。
私には資本主義の次の社会は見えませんけれども、もしも有るのであれば是非見たいとも思います。
資本主義も民主主義も全てにおいて完璧なものとは思えません。
どんな社会にも課題はあり続けるのが人間社会でしょう。


人間が共同生活をする上では、変わらないものが有ると思います。
それは、人間が感情の生き物で有ると言うことや野性を備えていると言うことなどです。
理想で語られる素晴らしい社会を全員が求めることはなく、千差万別な人間が存在し続ける限り、課題は無くなりません。
いつの世にあってもリーダーは存在し、人類が死滅しなければ歴史は紡がれます。


10年後に振返っても2017年は当然に皆の記憶にありますけれども、500年を過ぎたときに後世の人間が2017年をどのように捉える物か?私にはわかりません。
皇紀2677年に毎年起きたことを記憶している方は稀でしょう。


一般の方であれば、近代以外は、平均しますと100年から200年に一度程度の年号しか記憶に無いのではないでしょうか?
そのように俯瞰したときに2017年が世界史で見てどのように刻まれるものなのか、実はこの年が大きな変革を与える年になるのか、予兆があるのかもしれません。


大きな流れで考えてみましたけれども、近視眼的に見ましても少なくとも2017年に日本で現役でビジネスが出来ると言う環境は世界の中で大変に恵まれていることは間違いありません。
弊社で見れば10年の節目を迎えた今年は恵まれた機会を大いに活用するべき年で有ると確信しています。
恵まれまして、『守りながら攻める』課題が与えられるほど、守りの課題も増えてまいりました。
従来から、『大切な物を守り続ける為に大いなる力を得たい。』と考えていました。


日本の経常利益額がリーマン以前水準を取り戻した今の日本において、対前年比を上回ることは当然なのかもしれません。
より骨太な体質になるために貪欲に学び続けます。
その為にもアンテナを張り巡らし、変化の予兆や時代のうねりを感じ続けられるよう精進していこうと思います。
本を読んだらアウトプットが大切だと感じる一週間でも有りました。

連休の一日で子供と電車の旅をしてみようと思いましたら、結果としてJR九州さんのスタンプラリー企画に相乗りさせていただき、バッジは貰うわ、電車で優雅に本は読めるわ、車掌気分を味わえるわと恵まれた一日がありました。
行程は浦田~新飯塚~田川後藤寺~日田~久留米~原田~桂川~長者原~浦田で、9:38に電車に乗ってから15:45の戻りでした。
雨にも降られず車窓からの眺望も初めての場所が多く新緑を楽しむことも出来ました。


そんな中で読了できた本もありました。
それが表題のものです。
タイトルの順番からも西洋人が書いたことが推察されますこの本は私の中の疑問を少し晴らしてくれました。
厳密にはステレオタイプで人種や生活圏で人くくりにすることはいつの時代にも全てを包含することは出来ないものの、ある程度示唆するものはあると存じます。


東洋と西洋の違いの生まれをこの本では、春秋時代の中国大陸とギリシャに求めていました。
世界は狭くなったと言われて久しいですが、厳然と文化等の隔たりは存在しています。
勿論、個人個人では乗り越えている部分は多分にありますけれども、あまり海外との接点が無い方にとってはGAPを感じることもあるのではないでしょうか?
10年ほど前に台湾の実業家である黄茂雄氏が弊社グループで講演をして下さったことがありました。
その際に『グローバルに事業を進めてこられた思想としてどのような本に影響を受けられたりされているのでしょうか?』と質問をしたことがあります。
第一声は『もしドラはなかなか面白いよ』と当時の流行り物を教えていただきましたけれども、
その後、目の光を変えて『四書五経、タルムード、コーラン、旧約聖書、新約聖書、経典などとにかく全世界で多くの人間に長きに渡って読み継がれているものを読むべし』と回答いただきました。
直ぐに読めるものではなかったものの超訳シリーズなどで、直ぐに目を通したことを思い出しました。
その後、特に四書は触れる機会が多かったので、少しずつ理解を深めて行こうと思いますものの、当時に読んだ辞典で、旧約聖書や新約聖書には当時相容れない何かを感じたことも思い出しました。


思想による価値観は誰かに与えられるものではなく自らで感じ体現していくものだと思いますけれども、育った文化による影響は大きいと思います。
どの宗教も人類の破滅を求めているものではないものの、善悪をはっきりさせるもものと中庸にはなかなかの差があるものと感じます。

それでも世界は物理的に狭まって来ています。
自分と相容れないときに拒絶・断絶・排除するのではなく許容の文化を拡げられるように自らも多様性の価値を理解していきたいと思いました。


何より親の子に対する情愛などは万国共通のものであるとも感じております。
このような共通の価値観はどこにでも存在していますけれども、伝え方や大切にしていることには差があるのも事実です。



連休中に『限界費用ゼロ社会』も読了したいと考えております。
本を読むにつれ、自分の無知を知ると共に知識においてもコンフォートゾーンから一歩前に出ることの大切さを感じます。
一冊の本の中には言わずもがなの文化などが背景にあることをしっかりと理解できるよう、相手本位の読み取りを進めたいです。
また、日本語に訳されている本には限りがあるので、英語の本を読み進める必要を強く感じてきています。
絵本レベルから、まずは小説と会計本辺りに手を出してまいります。


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