June 2017

現在、九州にて免震構造の健全な普及を目指して色々と活動をさせていただいております。
福岡大学様にて日本の免震の黎明期に技術力を支えられていたことからも、九州には免震に対する知見や想いが詰まっているようにも感じております。


私自身は、東日本大震災を経て、相双地区の復興がライフワークの一つでも有りますので、その後免震構造の有用性を知り積極的に関わっているところでもあります。
今回も色々な活動の中でご縁を感じましたので、ますます使命感を帯びているところです。
そのご縁とは、弊社グループの創業の地であり、今でも本社機能を有する飯塚市の市庁舎が福岡県下で最初の免震構造になったと言うことでした。
先日、どのような経緯で免震構造を選択されたのかお聞きしに行きました際に現時点で唯一の免震構造であることをお聞き及びしました。
現在では、多くの自治体でも免震構造に向け活動をされているとの事でした。


何事も最初に道を切り拓くのは容易では有りません。
振り返れば何てことないように見えることも初めての道は色んな困難があったことと存じます。
それらを乗り越えた先人のおかげで、後に続くものはその経験と知恵を活用していくことでより素晴らしいものを作り出していかれることと存じますけれども、まずは最初に井戸を掘ったことを地元住民としましても誇らしく思います。


当該担当者からも滲み出る防災への想いが伝わりました。
やはり、各人の想いが多くのことを成し遂げる原動力になることを再認識しました。
事が成就するにはやはりタイミングもとても大切なのだろうとも思います。


項羽が最後に詠んだと言われる詩にもそのような趣旨があったかと存じます。
想いと時機で行けば想いが大切であるとは思いますものの、時流と言う言葉も有ります。
流れに乗るとうねりが発生いたします。
当事者でもあるせいか免震構造の普及においてはうねりが近づいているように感じることが多くあります。
こんなときこそ一つ一つの作業をしっかりとこなし、黎明期に誤解を与える行動が発生しないよう勤めてまいりたいと思うしだいです。


BCPも浸透しつつある昨今、生き残るだけではなく生き残った後に何が出来るのかまで備えていくことは、先人からの学びに対する回答であり、後進の人間への架け橋にもなると確信しています。
自然災害と常に向き合うことが求められる我が国ではこれからもあくなき挑戦が続くと思いますけれども、自分が住んでいる街が同じような想いを持ち、実践してくれていることに深く感謝申し上げる次第です。


免震構造の普及に向け引続き多くの方に有用性を知って頂くべく活動を推進してまいります。


最近読んだ本のある章のタイトルにこのような記載がありました。
本文はドクターに対する言い分が記載してあり、社会常識に欠けた人間が医者になることに警鐘をならされていました。
医学教育において情操を涵養する必要があるのではないかという提言でした。

そして、結語として『医者になる人間は人間が好きであって欲しい』とされていました。
翻って弊社においてはどのような人間であってもらいたいのか考える機会を与えてもらいました。
私は経営理念やビジョン・バリューに共感いただけるのであれば、手法が異なるのはWelcomeで色んな社員による多様化を図っていきたいと思っています。
ただ最近は、私にとっては言わずもがなで表現していないために伝え切れていない点があるかもしれないと感じるようになりました。
その思いを表現してくれたのがタイトルのような物でした。


経営理念を理解する前提としての明文化されていない点が有るのだろうと思います。
私は、法律に書いていないことは何をしても良いと言う考えに与しません。
全ての事象を明文化することは出来ないと思っています。
定量的にすることは誰の目にも明確に出来るので便利なことは多分にありますものの、どうしても定性的な判断でしか決断できないことも存在していると考えています。


『ならぬことはならぬ』と言うものが私にはあります。
ご先祖様に敬意を払うことや、目上の方を尊重する、幼子に愛情を注ぐことなど、どの民族でも共通していることは有ると思います。
なかでも日本の文化・伝統の中で育まれているものは沢山存在しています。
残念ながらなのか世の趨勢なのか、私も一世代前の方に比べれば、日本を正しく継承できていない点も有と思っています。
それでもご先祖様を敬い、次世代を大切に育てることをとても大切に考えています。


私の中での『ならぬこと』は自己中心的な考えなのだろうと思います。
自分の行動には常に相手がいます。
関わる全ての方を幸福にすることはできませんけれども、自分だけが喜ばしい行動を取る行為だけはしたくありませんし、して欲しく有りません。
人間は弱く低きに流れやすいものです。
その為に、志・信念を高めて自らを律していく必要あ有るのだろうと思います。


表題に戻りますと私どもの会社においては、技術も勿論大切ですけれども、『自分以外の幸せを真剣に叶えたいと思わない人間は駄目』と言うようなことに落ち着きそうです。

最近、出くわす不快な状況は全て自己中心的な発言や行動によるもので有ると認識することが出来ました。
私自身もそのような思いを周囲に与えることが無いよう、関わる人を中長期的に幸せに出来ますよう活動を推進してまいります。

来週は年に一度の最も苦手と言いますか、重圧を感じる株主総会があります。
昨年度をしっかり振返り、今年度の活動をますます推進できますよう審議頂きたいと存じます。

先週のDaigo氏の推奨による本を早速読んでみました。
ストレスと言う言葉は幼い頃から聴いているものの定義としては曖昧でもある日本人にとっては日常的に使われている物だと思います。


「ストレスは身体に悪い」これが通説だと思います。
著書の中で、ストレスと言う言葉がどこから発信され普及されたかも説明がありました。
それによると、ラット研究の一環で「ストレスは身体に悪い」と言う結論に至った背景があったことを知りました。
ラットが受けるストレスは、ある時間に突然電気が流される、ラットだらけの狭い部屋に入れられる、突然家族と離れ離れにされる、など実社会で我々が受けようものなら確かに耐えられないであろう環境を提供されたラットは寿命が縮まります。
このようなストレスに人間が晒されれば、長生きできないのは当然でも有るように思います。


ただ、我々が普段使うストレスは命の危険を感じるような物であったり、不快の環境から逃げられない環境になったり、理由なく孤独を感じる場面を味わうことは無いように思います。


本の中では精神的ストレスはマインドセット次第で力に変えることが出来ると有ります。
そもそもストレスがない人間には成長する意欲も生まれないように思います。
現在ではストレスの研究が進んでおり、以前のようにストレス反応は「闘争・逃走」のいずれかで有ると言う限定的なものではありません。
緊張感などもそのまま受け入れることが力を発揮することに繋がることも分かってきています。
テスト前の緊張とスポーツの大会前の緊張は同じもので有ると捉えれば、興奮していることを十二分に活用できるのも納得できます。


つり橋効果でも言われるように人間の身体の反応は同じような事象を勘違いして捉えてしまうことがあります。
プラセボ効果を良いように活用していけば、ストレスに対する反応も同様に高められるようです。


我々のグループ会社のリーダーには物事を明るく捉える能力が高い方が多くいらっしゃいます。
そこにはストレス発生源が出来たときにワクワクすると言う好循環が言わずもがなで成立しているのです。
そのような環境を当たり前として業務が出来ていることはとても幸せです。


やはり、いつの世も与えられた環境に感謝をして、社会の為に自らで精一杯生きることが自らを幸福にするとともに周囲にも良い影響を与えるものなのだろうと確信しています。
今後もストレスを感じるたびにワクワクして取り組んでまいります。

グループにおける昨年度の振返りと今年度の取組みなどの情報共有会が今年もありました。
グループ会社が80社、従業員が一万人を超えてきますと、各社色んな活動をされているので、色々なお話を聴ける機会が楽しみでもあります。

各事業所の責任者が一同に集いますので、切磋琢磨する気分も自然と盛り上がっても参ります。
今回は、各発表の後にメンタリストのDaiGo氏による講演もありました。
話の調子も上手く、非常に魅力を感じる人物でした。


話の中でもとにかく沢山学ばれている方で、読書量も一日10冊を超えていることも簡単に触れられていました。
講演の中からも本を読まれていることを感じました。
ここではテクニック的なことも沢山教わりましたけれども、私が疑問に思っていたことをすっきりと断言していただいた事がありましたので、その点を記載しておこうと思います。
それは、世にあるストレス診断なるものは、ほとんど意味をなさずインチキと言われても仕方が無いというレベルにあるとのことでした。
ストレスを感じることが悪だと思うことが最も心身を苦しめる結果となって、ストレスを的確に感じてそれを力に変えていかなければならず、ストレスを乗り越えた後の成長した自分を想像させることがストレス診断には必要なことであると喝破されていました。


ストレスが無ければ成長がないのかも知れません。
常にある程度の緊張感を持つことは良いことだと思います。
決してストレスフルな状態を良しと言っているわけでは有りません。
ただ、ストレスを感じることが全て悪いと言うことは全くもっておかしな理屈であるということです。


また、最後には御自身の体験談を含めて「深い悲しみにも必ず意味がある」とお話しされました。
自分自身にはない体験でしたので、そのような体験を含めてその先に進めるものか今の私にはわかりませんけれども、色んな出来事を乗り越える上で、精神的に強くなれる内容でした。



死と向き合った多くの先人から学びを得るためにも、本を沢山読み、ドグマの罠に陥らず、自分の内なる声に耳を傾け、また新たな一歩を踏み出して以降と思います。



2017年度に日本で現役の社会人であり、規模は何であれ組織のトップとして活動できる事は大変に恵まれています。
戦争等の危機や、食べるもの等の生活の不安を感じることなく育ち、その生活が現時点でも維持できている我々が愚痴っている暇は無いし、権利も無いと思います。
先人に与えられたこの恵まれた環境に少しでも磨きをかけて次世代に渡すことこそ、常に現役世代の使命だと確信しています。
新たなる挑戦に向け、仲間を集ってまいります。

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