October 2017

先日もこの言葉を伝えている内容の番組を拝見しました。
私はこの言葉と共に「経験だけは奪われない」と感じることが多くあります。
自らがある程度不安になったときに自分自身に言い聞かせているようにも思います。


人生は有限であり、100%整った環境を与えられることはありません。
更には自らの感情も含め、万物は流転しており、周囲の状況は変化を続けます。

そんな中、起こった過去に関しては変化はありません。
捉え方は様々変化は起こせるとは思いますものの自らを形成した、努力・経験は誰のものでもなく自らを信じるに足る為に積んでおくべきものだろうと思うに至りました。


新たな目標を設定した際に、如何に達成するために自らを高める努力をしたのか、は自分自身にしか分かりません。
自分に嘘をついても直ぐに分かります。
自分との約束事を達成できなければ、自分に自信が持てず、いづれ勝負するべき大きな目標を達成することは難しいでしょう。


与えられた課題に対して、全力で取り組むことで、新たな気付きが生まれてきます。
そして気付いた課題から逃げないことこそが素晴らしい経験を生み出し、更なる課題に挑戦できると言う素晴らしいスパイラルが生まれてくるように思います。


本人にとってとても難しい課題で、耐えられない場合には逃げ出すことも必要なのかもしれません。
それでも与えれた課題であれば、解決できるであろうことを期待されてもいるし、それだけの能力を有していると思われて与えられた課題なのだろうと思います。
自らで気付いた課題についても、頭のどこかに解決ルートが生まれているのだと思います。
その後、様々な難題も後から分かってくることがあっても、それも含めて乗り越えていけるものだと思います。


現在、私に与えられている重要課題の一つは知的な点だと思っています。
その課題は、ある意味で10年ほど前から顕在化しているようにも思っており、それ以外の課題に取り組むほどに根本的課題として私に突きつけられてきたように思います。


改めて自らが大切だと考える戦略的課題にしっかりと取組み、それを乗り越えたであろう自分を想像して、楽しんで努力をしてまいります。
独りで解決できる話では無いと思っていますので、多くの方を巻き込んで、より良い社会貢献を達成できるよう規模を膨らませていく所存です。


自分の経験と努力だけは誰にも奪われず、裏切られることはありません。
自信がない私にとっては努力の機会や今までの経験は有難い物です。
今後も感謝を忘れずに、社会に還元していこうと思います。


以前から日経ビジネスを頂戴していた際に巻末に記載されている安部さんのコラムが好きでした。
出張中の際にも朝食・昼食に良く活用しているのが吉野家です。
なかなか頭が固いので未だに頼むオーダーは一貫していて「並、つゆだく、卵」ばかりで、変更しても大盛にするくらいです。


そんな吉野家を引っ張ってこられた安部さんがASO経営セミナーに登壇されるとのことで、とても楽しみにしていました。
話を聴きまして、期待以上に感銘を覚えました。
以前から執筆されたりインタビューにて答えられている内容は拝読しておりましたけれども、吉野家の会社更生法の話やBSE問題など、直面した危機に際し、どのような心持ちで向かい、目標を達成してきたのか、いつの時代も大変難しいと言われている後継者問題などを如何に考えて実行して来たのかなど、多くの刺激を頂いた時間でした。


最後の方のスライドにて御自身の考え方についての記載がありました。

◆無駄な経験はない(無駄にするかどうかは自分次第)
◆ピンチは必ず克服する(恥をかいた時、怒った時、良いサンプルを見た時に本気になる)
◆挑戦こそが人を育てる(失敗していない人間は何もしていないだけ)
◆自分で作り自分で面白くする
◆55才からが勝負(それまでにどれだけの経験を積んだかで勝負できるステージが決まる)

とのことでした。()内はその後の補足のような説明を私が感じ取って追記した表現です。

大いに共感するとともに勇気を頂きました。
事業責任者として経営を任されて10年、とてもじゃないけど褒められたものではないと、自らを振返り内省しています。
それでも、全力でやってきたことだけは自負があります。
諦めたこともただの一度もありません。(厳密に言えば一晩くらい落ち込むことは有っても翌朝には再度立ち向かえています。)


人財の育て方や見極め方に対しても質問をさせて頂き、有難く本当に真摯に回答いただいたことを感じております。


松下幸之助翁の言葉も例示され『経営とは人間を良く知る事だ。』との言葉も改めて教わりました。
人間を知るとは、客先のみならず従業員が何を求めているかを知ることも経営の重要な点であると言うことであり、
お客様が一人一人千差万別であるように、従業員も一人一人が当然に異なっている事と向き合うことで多くの気付きが生まれます。

次世代経営者には転ばぬ先の杖ではなく、転ばせてそこから立ち上がる力を身に付けさせる必要も教わりました。
そういった意味では私も育てていただいている事を感じます。


現状維持は衰退を意味すると言う教えもありまして、これは私が事業責任者3年目に振返って刻んだ言葉と全く一緒だったことので、とても嬉しく感じました。


今はまだ見えておりませんけれども、『何事も数字のピーク時に危険の原因(種付け)があり、ボトム時に課題解決の重要な点が見えてくる。』ともおっしゃられていました。
まだまだ、背中も見えませんけれども、今の私と同い年で吉野家の社長になられていた安部さんに少しでも迫ることができますよう全力で努力を重ねてまいります。


マネジメントの能力と経営の能力は大きく異なるものだと言う説話もあり、肝に銘じて未来を創り出すことにますます傾倒していこうと思った次第です。
このような場が与えられたことに深く感謝しまして、その分をしっかりと社会に還元してまいります。

人間の能力には生まれ持ったものが大きく影響を与えますけれども、ある程度の期間を経てからは習慣により、DNAによる能力を凌駕することができるものと確信しています。
勿論、生まれ持った特質は死ぬまで個性として離れないものです。
それでも正しく等身大の自分を理解して、明確な目標を計画することが出来れば、その課題も明確となるため克服達成が可能であることを色んな場面で経験してきました。


学生時代では、努力だけでは期間的に間に合わないことも有ると思います。
アスリートも現役期間が限られる為に、全ての人に開かれた道ではないでしょう。


ただ、成り得る最高の自分を目指すことにおいては誰にも平等に与えられた機会が有ると確信しています。
そんな中、正しい習慣づけガ出来ることがその近道であると考えています。
『正しいとは、「一」と「止」から出来ており、「一」とは線を表していて、その線上に寸分の狂いなく止まることことである』と東洋思想の大家である田口佳史氏に喝破された経験があります。
それ以降にこの話を上回る説を聞いたことはなく、その考えを支持・信奉しております。


自らが正しい習慣を完璧に身に付けられているとは思いませんものの、かく在りたいと願い続け、良い習慣を身に付けようと日々努力を継続してはいます。
読書の習慣もそれによる物であり、今ではある程度活字に触れないと落ち着かないほどに中毒とも言える程に成れました。
このような良い習慣を身に付けることこそが、成り得る最高の自分への近道であると確信しています。
習慣についてはこの場でも記載したことのある、各著名人が活用されている下記の言葉の通り、ベースには正しい考えから始まるべきなのだと思っています。
とは言え、自分自身の思考が定まらないであろう幼い時期には習慣から先に身に付けたほうが良いことも多分に有るようにも思っています。


最近は、社員教育と言うものに強く意識が向かうようになって来ました。
今までは設立から生き残ることを主眼において活動をしていましたので、「創業」時機であったと言えます。
十年を経てこれからは「守成」を意識しなければいけません。
SDGsと言う物がサミットでも採択されている通り、正しいものは持続可能でなければいけないと思います。
創業当時に「正しいことを証明したければ、継続できなければいけない」と言われたことを思い出します。
世界に大きなインパクトを与えることよりも、今の自らで出来る最高の貢献を世に提供し続けられる体制こそがとても重要だと感じています。


持続可能であるためには、変化し続けることも大切です。
一風堂の河原さんは「変わらないために変わり続ける」を掲げていらっしゃいます。
停滞することなく変化をしていくのは、持続可能であるためです。
打ち上げ花火のようなものではなく持続可能な組織にすることをこれからは重要な経営課題として取り組んでまいります。
このように課題が変わってこれたことも、有難い使命だと思い、ますます良い習慣を身に付けられますよう楽しんで努力を継続してまいります。

米国にて銃による残念な事件がありました。
都度、日本では「何故、銃を規制しないのか?」という議論が起こります。
米国内でもある程度は議論されているかと存じますけれども、この問いに対する私の回答は、「日本で包丁による殺人等が起こったら、包丁の規制の話が出るでしょうか?道具その物の問題ではなく、使用方法に理由がある以上、道具の規制には至らない。」です。


何より米国内では銃の方が平和に貢献していると感じるのです。
自然との共生の中で、人間よりも強い生物と対峙するには、それなりの武器が必要でしょう。
人間同士でも歴然とある力の差の前では武器が必要となっている場面が多いことであろうと推察しています。
残念ながら、人間には倫理観を強制出来ないことは自明の理であるように思います。
その為に宗教を活用して幼い頃からの習慣で、野生を抑え、共生を育もうとしてきたことが人類の歴史でもあると考えています。

世界各国に限らず、国内の地域ごとにおいても様々な文化があります。
それらには背景があり、現在の価値観で語れるものばかりでは無いことが多分にあります。
全国各地で行われているお祭り一つとっても地域によって差があります。
同じ名称のお祭りでも隣町とは少し異なっているものです。


歴史・文化はその土地にいる人が創り出し、育み続けます。
継続は容易ではないので、時代によって変わるべきものは変わっているからこそ、伝統というものに繋がるのであって、全く変わらないものなどなく「万物は流点する」のは事実です。
それでも文化の背景にあります価値観・想いは簡単に変わるものではなく変わるべきではありません。
そこに思いを馳せるには創造した時代に遡り、それから脈々と繋がってきた歴史を知らなければ行けません。


何かを改善するということは、改善するに足るというそのもの自体を認めていることも含まれていると思います。
でなければ、改善自体が無駄になると判断されるでしょう。
改善項目への評価があるのであれば、それに対する敬意が無ければ、良い改善には繋がらないと考えています。
我が社の短い歴史においても、なんらかの文化は産まれ続けています。
革命のように歴史を分断するようなやり方では、周囲からの評価は良くてもゼロ、基本的にはマイナスからのスタートになるでしょう。


何かを批難したり、単なる評論をするだけの人を見る時、祖母から言われ続けた言葉を思い出します。
それは『人を指差したら、三本は自分を向いている。まずは、自分自身が変わるべき、そうすれば世界が変わり始める。世界を変えることを難しいことだと考える必要は無い。』でした。


何かを否定することは簡単ですが、代替案が無ければ、小学生の戯言です。
他の国(他人)の事をとやかく言う前には、まずは自国(自分自身)を正しく律し、相手に敬意を持って接することが事の始まりであろうと思いました。


この世の全ては自分の責任だと思い、与えられた人生を引続き全力で生きてまいります。
そして、少しでも社会に貢献できることを増やし続けます。




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