May 2018

◆快適な生活を送ってるのは、スライムばっかり倒してるからだろ
◆悪い魔物を倒して町を救ったら、ヒーローになってちやほやされるかもしれない。しかし、その町を去れ。


表題は尊敬する人の言葉、上の二行は自分のデスクに貼ってあるドラクエ人正論の一部です。
事業責任者会議での発表に際し、この11年を振り返って頭を巡る言葉となりました。
12年前の立ち上げ時には、周囲からは期待されないどころか、否定される機会が多かったように思います。
それでも一部の先輩やボスからは、やってみて考えることにも十分価値があるという表現もされて、大分背中を押していただいたおかげで、振り返ることなく走り続けることが出来ていたと思います。


数字を見ますと景気動静にも恵まれて安定した収益性を保っています。
ただ、この状態こそが良くないのではないかと感じることも増えました。
あまり言葉にせずとも周囲が考えを理解してくれたりするのは助かりますが、そもそも論の議論や発想に無かった知識を得るような活性化された状態ではないと感じる点も増えたのです。
カーナビ上司と言う言葉があるように私の答えを求めるスタッフも増えているようにも感じます。


私は、安定と混沌は双方に成長の価値があると考えています。
攻め8割、守り2割と言うのが私の基本スタンスです。
もちろん、これは私の性格上守りが苦手なので、得意な方を見つける必要を感じての思いでもあります。
私自身は安定の中からイノベーションを起こせないと思っています。
混沌の中に身を置いて、そこで考え抜くことと行動を止めないことが私自身の強みでもあるだろうと思います。
40も過ぎれば自分の得手不得手を理解して、不得手分野を任せつつ、得意分野に特化していくことが組織の活性化につながるでしょう。


今までを振返り、これからを考える機会を得ましたので、これからの10年でどこまで成長できるのか?を考え続けています。
私自身は刺激ある場所に身を置いて、安定よりも混沌の中で社会のために活動できる自分自身でありたいと願います。


『成功はゴミ箱の中へ』と言う言葉もあるとおり、11年間の過去ではなくこれから目指すべき未来からの反射として、次なる一歩を踏み出します。
年齢を重ねることで生じる変化も受け入れて、有限の人生を大切に歩んでまいります。





往年のウイスキーの宣伝文句を最近読み直したところ感じる所がありました。
この言葉からは色んな事を考えさせてもらえます。
単純にはウイスキーやらの寝かせるお酒の謳い文句としては、大変綺麗であると感じます。
私達は誰もが有限の時間の中で生きています。
使える時間は誰しも選ばなければなりません。

時は無情にも形あるものだけでなく、感情のような物も変化をさせます。
衰える事は悲しいことでもありますが、それは以前は輝いていたことの証左でもありますし、輝いた結果としてこれから新たな創造を始める機会に過ぎないかもしれません。

生死感と死生観、似て非なるものですが、考えさせられる言葉でもあると思います。


私は時を共にする事はとても贅沢で有り、素晴らしい活動で有ると考えます。
長い時間を過ごした事に意味は確実にあります。
望むらくはその時間に見合った効果をしっかりと刻みたいとは思いますが、単純な成果とは別に有限な時間を割いただけでも、その選択に価値があるのではないでしょうか?
同じようなイベントに見えたとしても、繰り返しでも参加したいと感じてその行動を起こすのであれば、その意を汲むことがとても大切に感じるようになって来ました。


年を重ね、有限な世界を強く感じています。
一度きりの人生を大切にするために、自分の時間をますます大切にしたいと思います。
そして、自分の意思で決められる時間が増やせる事はとても幸せだと感じます。
有限で有る自分の時間を使って社会に貢献できればとても嬉しいです。


これからも生まれるであろうご縁を大切にして参りたいと思いますのに加え、今までのご縁にも深く感謝して時間をかけたいと思います。
手紙には、「その手紙にかけた時間の分だけ、大切に保管される」と言う言葉があるそうです。
現在は経済が価値観としてとても重要なポジションですけれども、有限である我々の時間こそが本当に大切にすべきものであるとも感じています。
目的と手段が混同されないよう自分の思考と行動をますます意識して行きたいと思います。

経験しているからこそ見えてきた世界が有ります。
そのような体験からついついアドバイスと称して『転ばぬ先の杖』を色んなところで発言してしまいますが、これによって思考の機会を奪っているようにも感じることが増えました。
分かり易い例では子供への色んなアドバイスなのですが、いつも言い続けますと、『言われなければしない』または『何かあれば言ってくれるから』と自分で考えることを放棄してしまうように感じるのです。
しかもこれは自らの意思であえて放棄するのではなく、自然とその状況が当たり前であって、そもそも思考を深めないと言う、自分ごとですらなくなってしまうのです。

勿論、普段自分の生活にあまり関係のない分野においては良いとは思うものの、自分たちの本業や人生を形成する事項については常に自らで経験を積む事こそが重要であるように考えます。


失敗の重要性を考える機会が増えてきました。
私自身が今までに沢山の失敗をしてきた経験から、やはり経験に勝る知恵は無いように思います。
理想はとしては、『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』なのだろうとは思いつつも私の能力からしますと経験に一番学びを感じます。

大切なのは戻ってこれる(または生き残れる)失敗であるかどうかなのだろうと考えます。
取り返しのつかない失敗は、やはりするべきではないと考えます。
どの程度の失敗であれば、次の成長・成功につながるのかが大切なのではないでしょうか。


事業責任者会議においてこの10年を振り返る機会を頂きましたので、考えて見ますと随分と遠回りをしているように感じつつも私にとってはこれが最短の道のであったのであろうとも感じます。
これだけの失敗を見守っていただいたことにも感謝ですし、私自身が次なる機会を次世代に渡すことも大切だと感じます。
失敗は挑戦の表れでもあるので、ある意味では誇らしくあっても良いのだろうと思います。


正しい失敗と言う表現が有るのか分かりませんが、これからは転ばぬ先の杖が見えたとしても社員や子供にはあえて言わないことも必要だと考えています。
バッカーズ寺子屋でも「失敗の仕方を学ぶ」と言う表現がありました。


組織を持続可能たら占めるのは、継続して社員が学び成長を続けるからであり、その為の一番の教訓は自信を失わない失敗なのではないかと考えつつあります。

日本はムラ社会で生きて行くことが多いように感じます。
そのような価値観での教育が底に流れていることが原因であるように思います。

これだけ世界は狭くなり、日本がプレゼンスを発揮すべきときにあまり貢献が出来ていないのは、ムラ社会の考え方が浸透してしまっているからではないのでしょうか?
それでも多様化を受け入れなければならない環境は避けられません。
鎖国が出来る環境ではありませんから、早々に多民族国家と付き合って行くだけの教育を始めて行く必要を感じます。
その為に言語を学べと言う話ではなく、自国の文化・歴史を知った上で、志・信念を涵養しておくことが大切だと思います。
自分の芯がしっかりしていれば、変化して行く環境にも柔軟に対応できると思っています。



頑固なのは知識も無く自分自身に芯が無い為で、自信の無さの表れであるように思っています。
相手の話をまず聞いて、背景を慮ることから多様化への対応力が高まると思います。
とは言え、「バカの壁」の通り、どんなに話し合っても解決できないことは有りますので、その際は決断も必要です。
日本は許容力が高いようにも伝わっている部分もありますけれども、ここ最近では少しそのような対応が取れる方が減っているようにも思います。


国会を見ても話し合うよりも、棄権することの寂しさを感じます。
国際社会では背景が違うもの同士、まずは自分の価値観から話し合うことが大切な事を指し示していると思います。
ムラ社会文化を脱却することが、近未来において次世代に明るい未来を残すことが肝要だと思います。
子供の日に未来を担う若者たちを考えたときに、邪魔な老害になることだけは避けなければと考えここに次世代以降に重要と思われる事を残しておきます。
今の日本は排他的な活動が多い事を危惧しつつ、現状打破には若者の活力がとても大切であることも常に忘レズに居たいと存じます。




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