September 2018

ASO経営セミナーにて楠木建氏を招いての講演会がありました。
今までに著書は何冊か拝読しているのと監訳されている本も複数冊読了していたので大変興味深く参加を楽しみにしておりました。
以前にも他のセミナーなどで拝見したこともありますけれども、大きい会場での開催が多く遠くで話を聞く感じがしておりました。
今回はグループ内だけなのである近くで感じられる本当に有難い機会でした。



結果としては、著書を読んで感じ入っていたことがなかなか実践できていないことを痛感させられることになりました。
机の周囲に貼り出すべき文言も出来ましたので、早々に整理した文言を毎日のように見て思考を進めたいと思います。
私にとっては著書よりも講演を聴くほうが、迫力とともに伝わるので印象深くなるように思います。
可能な限り事前に本を読んでおくことである程度、初見・初耳な事は抑えられますので、実践すべきポイントに絞って体感することが出来ます。


私は、戦闘は得意であっても、戦略立てや戦術仕込みを苦手に考えてもいます。
小学生の頃三国志を読んでいたときは誰よりも諸葛亮孔明に憧れていたのに、実際には張飛のような先陣きって進むことばかりに注力している気がします。
今回のセミナーで戦略の重要性を改めて知ると言うよりも、苦手としている戦略立てにおいて大事なポイントがあることを強く教わることが出来ました。
いろんな会社で戦略が発表されていますけど、その図にただただ感心するばかりで建設的な批判も出来ないことも多くありました。
それでもいろんな戦略に違和感を持つことが多くありました。
その理由に今回のセミナーで気付くことができました。
これは以前楠木氏の本を読んだときにも感じていたことを思い出したと言う感じです。


それはストーリーとして描かれなければいけないという事で、時間軸を入れ込む重要性を改めて感じました。


良いことをやるのは企業たるもの当然です。
つまりは他の企業も追随してきますし、現代において真似されることが問題とは感じません。
我々も始めは色んなものの模倣から事を起こしています。
オペレーションなどにおけるイノベーションが生まれることなど殆ど起きないでしょう。
BetterではなくDifferentを追い求め続けることこそがレッドオーシャンへ入り込まない大切な戦略のポイントです。
実践することを記載するのではなく実行しないことを明文化することも大きな差異化だとも教わりました。

アクションをリスト化するのではなく時系列で感じさせることを忘れないようにします。
安直な『飛び道具』や『必殺技』もなくストーリーとして描かれておくことが大切なのだと理解することも出来ました。
事業のコンセプトを一口で言えるよう自分の思考を深めてまいります。
弊社内でも事業は一つではない部分もあるので、事業ごとに一口で言える差異化を図ってまいります。

表題の『良し悪しよりも好き嫌いで経営する』は良いことをするのは当然であるので、そんなことを背景に意思決定するのではなく、もっと突っ込んだところで最後は自分の好みを大切にすることが経営戦略につながる物だと感じています。
良し悪しでBetterは作れてもDifferent足りえません。
自分自身の人格を高めることで善悪を問わず、別の視点にいけると思います。


ドラッカーの五つの質問に加え今後は、
1.事業のコンセプトは何か?
2.事業のSPは何か?
3.その中にクリティカル・コアはあるか?
をについての思考を深め、意思決定をしていこうと思います。


私どものグループへのアドバイスとしては、ホールディング会社が強くなるのではなく、各事業会社が強くなるように進めていくこと、と言われました。
事業会社を預かっている身として、しっかりとした成果を上げてホールディングに還元することに燃えてまいります。
セミナー後に他の事業会社責任者と話しまして、お互いにますます燃えていこうと言う気になりました。
そして事業会社を背負える人間を増やし強化することも私にとって重要なミッションであることを自覚しています。


思わず人に話したくなるような戦略ストーリーを考え続けます。

現時点での私の上記回答は、
1.事業のコンセプトは何か?⇒機会損失の回避
2.事業のSPは何か?⇒収益確保のための費用削減
3.その中にクリティカル・コアはあるか?⇒持てていない
となります。数ヵ月後、数年後にどこまで変われて力強く回答できるのかにワクワクしています。
小さな成功に満足しない心得が聞けたことも有難い限りでした。


本日は、OB会に参加させていただきます。
OBが創り上げてくださった暖簾で私どもは仕事をしておりますので、感謝をお伝えするとともにこれからも大切な意思を守り、更なる磨き上げすることを誓ってまいる所存です。
本日も多くの先輩から刺激を頂戴してまいります。

個人的には望めるならばOBになることなく生涯現役として携わり続けたいと願う次第ですけど、OB会も収益事業ではありませんけれどもある意味では既にグループ内にあるような隣接して良い効果をもたらしてくださる関係であることも、とても誇らしい組織です。


現時点でAPU学長の出口さんの教えを超える話にはなりませんけれども、やはり人と本と旅(通常との異空間)によって、大いなる刺激を受ける機会が圧倒的に多いと感じます。
一人で考えなく時間も大切だとは思いますけど、それは決断をする時であって、インプット作業には人と本と旅がとても大切なことを日々実感しています。
作業として事務処理などをしなければいけない時を除けば、自分の時間は人に会うことに使う機会を増やしています。
出来るだけ同じ人ではなく新たな出会いを求めて活動するようにしています。


人に会うための移動時間の際には本を読むようにしています。
本も自分の好みばかり読んでいると偏るので、人にオススメを聞いたり、本屋の平積みを見に行ったり、新聞・雑誌で勧められているものに手を伸ばすようにしています。
また、『行動経済学』について興味を持った際には関連本を複数(最低三つ)読んで異なる角度の意見を吸収するよう意識しています。


今まで自分で足りていなかったと思うのは旅です。
旅については、定義を難しく考えすぎていたように思います。
免震の活動などで九州各地に行く際に時間に余裕を持って周囲の史跡などを少しでも見学したり、地の物を食べたりすることを意識するようにするだけでも、日常とは異なる刺激を多く感じる事が可能であることに気付けました。


人は立場によって仕事の性質が異なるものだと思いますけど、効率重視で勧められる環境は非常に限定的な活動であると感じています。
実際には多くの方が与えられた閉ざされた環境での業務が多いのだとも思います。
それでも常に本質について考え続けなければ、環境はある日突然に変わる可能性があるので、その際に対応ができなくなる事でしょう。
経営の仕事を単純に効率出来ることは無いと思っています。


通常業務においては効率を図ることは多くあるので、そのような環境に当たった場合は徹底的に効率を置いた求めて貰いたいですが、効率化には限度があるのも事実なので、新たな取り組みに早く取りかかれる環境を自ら創り出して行くべきだと考えます。
新たな仕事の創設には、人・本・旅が欠かせないことを改めて強く理解する機会が多いことにも感謝しています。
それだけ自分自身も成長が遂げられているものと感じる次第です。


一度限りの時間が有限である人生を人・本・旅を通じて更に社会に役立てる人間に急いで成長して行きたいと存じます。






 

月刊致知の対談が五木寛之氏と横田南嶺氏の対談があり、いくつかの双方の著書を拝読しました。
その中で表題に記載している『かもめのジョナサン』は古くから聞いてはいたものの読んでおりませんでしたので大変興味深く拝読しました。
致知の中でも触れていましたが、かつてのカルト教団で殺害されたカルト教団幹部が自らをかもめのジョナサンに例えて自らの心情を示していたことも掲載されていて、その後の第四章を理解しないが故の過ちでもあるような示唆があることも気になっていました。

横田南嶺氏の『二度とない人生だから、今日は一日笑顔でいよう』という本にも大変勇気付けられました。
かもめのジョナサンは以前に第三章までが綴られており、2013年に第四章が追記されたとのことでした。
確かに第四章が入ることで意味合いは大きく変わってきているようにも感じます。
同月の致知に五木氏が宗教の始祖の没年との関係を指摘されていました。
私はそこに大いに感じるところがあります。
その点、仏陀においては高齢まで存命されていたからこそ伝えられる事もあったと思います。
年を重ねることで身体の不自由などは増すことでしょう。
それらを受け入れ理解していただいた方が、高齢化社会においては認められるように思います。


私は以前からマルクスの共産主義に対して一つの強烈な違和感がありました。
それはマルクス自身が一度も成功者と言われるような経済的に恵まれた環境に存在したことが無いからです。
富める者が妬まれる事は当然の理屈として理解できます。
ただ、富める者には富める者なりの葛藤や悩みがあります。
富める者、貧しい者の悩みを理解して求道することが無ければ、これだけ恵まれた社会での導きには難しいように思います。


かもめのジョナサンの第三章までは、キリスト教を強く感じます。
第四章によって仏教とも親和性を覚えられるのでは無いでしょうか。
私自身が宗教家ではない為、あまり踏み込んだ発言は出来ませんが、魂の救済に宗教は不可欠でしょう。
誰もが死にゆく無常な世界に畏怖の心を有していると思います。


ホモ・サピエンス誕生から二十万年、文字ができて五千年、人類なりに多くの葛藤を経て、文化を形成してきています。
これらも包含しながら、常に次世代の事を考え実行出来る自分達でありたいと願います。
後輩から奪うような『未来からの前借』だけはしたく無いと真に願いつつ、次世代の為に可能な限り正しい未来を与えられるよう自分自身を律して参る所存です。
多くの本との出会いに感謝ばかりです。
 

昨年度から月刊致知の定期購読を始めました。
毎月学ぶことが多くあり、人生において示唆されることが有難い雑誌となっています。
創刊から四十年を迎えられています。


我々の会社が四十年を迎えた際にどのような想いになっているのか、想像するのもワクワクします。
私は健康に留意しつつ、生涯現役であり続けたいと願っています。
今もSIPSなど色んな活動を開始していたりしますが、これらも全て継続して関わっていくつもりです。
複数年を経てわかることが多分にあることを理解してきました。
十年目で見える景色、二十年目で到達できる感覚、三十年目で知る世界、四十年目で初めて知る知識など、これからも好奇心を動機に知り合う全ての方々に感謝を忘れずに人間を磨いて行きたいと思います。


致知の今月号の特集は『人生の法則』でした。
私は人生は『自らの努力の結果』でしか無いと考えています。
大きく打てば大きく響くし、時の運よりも自助こそが大切だと思います。
将来を明るく考えて、口から出す言葉も前向きとすることが人を惹きつけ、大きなインパクトを与える機会を得る事に繋がるのだろうと信じています。


人生に重要である習慣を正しく身につけて、継続は力なりで少しずつでも積み重ねを大切にします。


 

フィードバックの重要性は以前から伝えられているので、事あるごとに確認の意図を含め、研修の発表や面談などを通じて実践していましたけど、なかなか本に書かれたような効果を実感する機会が少なかったように思います。

今回、『フィードフォワード』を読んで日本人にはなかなかフィードバック効果が難しいことを理屈で理解できました。
今までにも何度も経験しましたけど、日本人間の議論は感情が入り、異見の提示が人格の否定のように感じ取られてしまうように思います。
そもそも意見の対立などは個人の数だけ起こり得ることでしょう。
議論は『事実と数字とロジック』で成されるべきですが、トレーニングを受けていない方々にはそれが難しいようです。
改めて自分自身が幼い頃から恵まれた環境に居たことに気付かされるとともに、感謝する限りです。
我が家、我が親戚の会合、会食事には何らかのテーマに基づき議論を重ねるのが当たり前でした。
年齢にかかわらず個人が意見を述べなくてはならなかったですし、どんな意見にも一度は耳を傾けるのが当然でした。
しかし、これらの経験なく社会人になってから与えられると個人を否定されていると感じてしまうのかも知れませんし、ご本人も異見と個人攻撃の意味がわからないのかも知れません。


フィードバックには率直な意見交換が必要ですけど、そもそもこれが受け入れられないと効果を求めるのは難しいでしょう。
私は先輩やボスからの率直な意見は感謝しかありませんけど、それは幼い頃からの習慣が大きいのかも知れません。
勿論、信頼関係も大切ですけど、議論自体を理解してもらえるように努めたいと思います。


その点、フィードフォワードには良点が多いように感じました。
指導などにはトレーニングが必要でしょうけど、『夜と霧』にある通り、個人は如何に将来を明るく捉えられるかが生命力も高まることは認められています。
可能な限り、行動経済学での仕組みを自然とフィードフォワードに向けられるよう知恵を絞り続けようと思います。
新たな取り組みはワクワクするので、楽しんで全力を尽くします。











 

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