February 2019

表題のタイトルの本を読了しました。
大変勉強になることが多く最初の一歩を踏み出すことの重要性を再認識させられました。


この世の中には「何かがおかしい、けれども今までやってきたことだから」と言うだけの理由で継続されていることが、多いように思います。
「失敗の本質」で何度も問われる「そもそも論への言及の弱さ」「一度動き出したら止められない組織バイアス」に未だ立ち向かえない日本人が多くいることに気付かされます。
それは自分自身も含んだものですので、周囲を否定したいわけではなく、自らの弱さも認識する必要を感じています。
それでも、気付いたものの使命は大きいと思います。
気付いて更に一歩踏み出すことはとても勇気がいるでしょう。
更には継続をしなければ達成することは適いません。
達成して初めて社会を変えられるわけですから、容易でないことは当たり前なのかもしれません。


気付けば世界を変え続ける方がいらっしゃいます。
ここでいう世界とは自らで見える範囲のもので構いません。
家族単位でも部署単位でも会社だけだとしてもその世界は存在しますので、その世界を変えるには自らの考えと行動しかありません。
誰かに変えてもらう世界は、また自分の意図と外れた世界を生み出すことでしょう。
世界を変えるには自分の意識が何より重要ですけど、辛い事は一歩踏み出したことを継続して達成に至っていない状況でしょう。
自転車に乗れることにもよく例えられますけど、乗れてしまえばなぜそれまで乗れなかったのかの説明が上手く出来ない方が多いと思います。
社会や世界は変わるべくして変わってきています。
その中でも改善と改悪はありますし、価値観は多様であり統一することは適いませんので、自分たちの信念に基づいて社会と世界を変える努力を継続したいと思っています。


今感じる『何かがおかしい』と言う思いを大切にしていきたいと思います。


今週も多くの知識を頂戴しましたけど、今後活用していきたいと思ったのは、大きいジョッキの飲み方でした。
壮行会での一幕で、一番大きいジョッキがあると聞いたので私自身はハイボールで頼みました。
若手からの依頼もあり三杯ほど楽しんでいる中で、女性では持てない重さだという会話の流れから、ドイツ人は持ち方が違うと聞きました。
言葉だけでは上手く表現する自信がありませんけど、梃子の原理を使う形で、ジョッキの手の持つ部分を掴んだら、ジョッキ自体を手首の外側に回して手の甲と前腕で挟む要領で、手の外側からジョッキを飲む形です。
これは楽に持ち続けることが出来るので、今後覚えておきたいと思いました。


今週は人から薦められた本で、『社会は変えられる』、『世界が感動する日本の「当たり前」』、『生物学的文明論』『米中激突』などを読了しまして、大変に意味深いものに酔いしれておりました。
そんな中でもビールジョッキの持ち方は私の脳を刺激するのにとても良い物でした。


結果として、自分の頭で考え続けることの価値を深く思い知らされています。
自分たちに見えている現実は勝手な思い込みが多く、世界は自分たちの見方や行動で大きく変容できます。
その為には勿論、勉強や実践が大切ですけれども、一番大切なのは自分の頭で考えることだと深く腹に染み込みました。
これからも研鑽を続け、次世代のために何が出来るかを考え、実行し続けてまいりたいと存じます。


多様性を求めるためにも今までにお会いできていないメンバーに会いに行く機会も増やすことがとても効率的で良い刺激になることも実感しました。
明日からの新たな出会いを求めて、まずは自らの研鑽として思考を深め続けます。

表題の言葉には注釈がありまして、『漫画を正しく理解するにはその十倍本を読んでる必要がある。更には漫画を読むなら現在の週刊誌の連載物を読むことで世相を理解できる』と20年以上前に麻生太郎閣下にご指南いただいたことがありました。
当時の私は、週刊誌で17冊、月刊誌で6冊ほどは漫画を読んでいたので、漫画のほうに急ブレーキがかかり、読書習慣を身に付ける事にしたのを覚えています。
現在も出張が多いこともあり、恵まれて移動時間に読書を楽しんでおります。
本屋さんを巡るのも好きになり、いろんな本を物色する楽しんでいます。
それでも本屋さんには迷惑をおかけしているのでしょうけれども、本屋で本を買うことはほとんどありません。
現在は、アマゾンでの購入が9割以上となっています。
理由は、本を手放したくはなく保有を前提としているため、購入コストを抑えるためにほとんど中古を購入しています。
子供が多く生まれる前までは中古に手を出しておりませんでしたけれども、保育料や塾代などを意識した際に二カ月分の節約に繋がることを知り、中古本の存在に感謝している次第です。


新刊の出ている量は大変多く、現在では一年間に出た本を全て読もうとするだけで一生を費やすような計算になりますので、人のお薦め等推薦されている図書を読むようにしています。
多読家の方が面白いと言う本は引き込まれることが多いです。
太郎閣下への本家への新年のご挨拶に伺えない際に20年以上ぶりに本をお教えいただきました。
ご丁寧に手紙を添えていただき三冊を頂戴しました。


楽しんで本を読みつつ、漫画の週刊誌もある程度は読んで世相を感じ取っています。
もちろん、漫画の十倍以上は本を読んで二十年が経過しておりますので、少しは正しく漫画を理解できるようになって来ているかもしれません。

今週も恵まれた刺激を頂戴する時間を多く過ごすことができました。
結果として一番大切であると感じたことは当たり前の結論とも言える『自分の頭で考える』と言うものでした。
知識を持っている方は沢山いますけれども、頭の容量はUSBデータにも適いませんので、コンピュータに出来ないことは集めた知識を如何に活用していくかですから、その為には常に頭を使い続けることが大切でしょう。


知らない知識を溜め込むことはコンピュータ発明以前はとても価値あることでしたけれども、知識あるだけの人間は決断する人間に使われるのみと言うのも事実でした。
コンピュータの方がより多くの知識を有していることが間違いない以上、知識の量ではなくそこから昇華される知恵を如何に持つかがこれからますます重宝されることでしょう。
実は、自らの頭で思考する機会は昔から多くは無かったのが現実だと思います。
今目の前にあることに対応し続けるだけで生存確率を上げることにつながることが多く、周囲の慣習に従っていることが楽でもあるからです。


同じものを見ても反応は人それぞれ違うはずですけど、学校教育等で教わったことは何となくそのまま受け容れて同じ価値観を形成していくことが多いように思います。
そんな中、同じ情報量を手にしても発想が全く異なり人をひきつけるアイデアを出される方がいらっしゃいます。
専門分野などベースにある知識に関係なくどのような場でも面白いアイデアを出される方は固定化されてもいて、特徴はやはり常に考え続けていると言うことだと思います。

脳は鍛えれば鍛えるほどに成長を続けます。
脳細胞がある年から死滅していくと言うのは、使わないからに他ならないでしょう。
死滅する以上に活用できていない脳細胞があることも証明されています。
この自分の頭で考え続けると言うことは実は簡単ではありません。
世の中に流れている意見・コメントに対して常に疑問を持ち続けるには脳への継続したトレーニングが必要です。
それにより、肉体は衰えても脳を常に最高の状態に高め続けることが可能となります。


尾崎咢堂がいくつになっても『人生の本舞台は常に将来にあり』と言っていたのもこの事実に帰結します。
生物学的文明論によりますと、生殖機能を有さなくなった生物は生存する価値を無くすのが原則であるそうです。
人間はその後生きながらえられるので、その分次世代のために自らを活用することで生殖機能はなくとも次世代反映のために知恵を出すなどすることで、十分に貢献が可能だと考えています。
年を重ねるごとに次の世代への責任を痛感することは生物の忘れてはならない原理であるようにも感じました。


講演会等で自分が練り上げた文書を読むのではなく、全てが頭に入っている方が自らの言葉を紡ぎだして語り続けるのでは聴衆の受ける刺激は大きく異なります。
その為には講演者にも当然に教養や基礎的訓練・卓越した知恵が求められるでしょう。
自らで成りたいと思うものにしか、人間は成り得ないと思います。
もちろん、望んだからと言って全てが与えられるほど簡単な物でもありません。


自らの人生は自らの手で創り出し続けるという確固たる覚悟と弛まぬ努力が必要です。
これからも『なぜ?』『だから何だ?』『本当か?』を多くの事象にぶつけて今は解決できない自らの課題解決のために頭をフル回転させられる時間を増やせるよう、努力を継続・実行してまいります。

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