March 2019

弊社の12期を終える時期が参りました。
振り返りますと、まだまだ満足・納得できる成果を出しているとは感じていません。
ただ、今期も多くの気付きを得ることが出来ました。


自分自身としては経営者としてますます高いステージに上がりたいと切に願うようになりました。
その為には自分の力による努力しかありません。
それでも今までに気付けていなかった大いなる課題に気付けたことはとても大きな進化だと感じています。
2018年度はプロフェッショナルな経営者として生きることの意味をじっくりと考えさせられる一年であったように思います。
創業から12年は財務体質と営業力に特に注力してきました。
未だ営業に関しては道半ばですけれども、財務はある程度を保持できています。
ここからのステージとしては経営者としての現場にしっかりと立っていきたいと思います。
『経営者には経営者の現場がある。それは一般的に言われる現場とは異なる場合が多い。』との言葉を聴きました。
勿論、事業の結果は全て経営者に責任が有ります。
そんな中でもやはり任される喜びを持つ方がいらっしゃるのであれば、可能な範囲で多くのものを任せていきたいと思う機会が増えています。


今の課題を解決するにはレイヤーを上げることがとても大切とも聴きました。
自分たちの部署のことばかり考えるのではなく、会社全体を俯瞰することで見えてくる課題は異なり、結果として部署のパフォーマンスが上がるように思います。
同様に自社のことばかりではなく、業界全体を考えることで、打ち手は大きく変わりますし、自分自身の価値観にも大きな影響を与えてくれます。


『世界を変えるのなんて簡単だ。まずは自分自身が変われば良い。』とは祖母から貰った言葉です。
自分の価値観などが変化すれば、世界の見え方が大きく変わります。
志・信念の変更ではありません。
自分だけに見えている世界をいかに伝えるかを考え続けると、行き着く結果は自らのやり方などを変化させ続けることなのかもしれないと気付き始めました。


人生は限られた時間中で一回きりの物です。
人生こそが旅のようなものでしょう。
一度きりの人生を大いに楽しむためにも2019年度も大いなる冒険に挑戦していきたいと思います。
未来を悲観的に考えているのではなくワクワク出来ている自分はやはり日本と言う国家に存在しているからだと思っています。
将来の憂いは勿論多数ありますけれども、それ以上に多くの恵まれた機会を感じています。
世のため人のため、何より次世代の為により良い人生を歩んでまいります。


2019年度の事業方針は『安全と徳は孤ならず、必ず隣有り。』としています。
残念ながら今期で3期連続予算未達成となりましたので、予算達成を通じて上記の意味を色んな形で社員と共有してまいります。


表題は『大学』にある一文です。

最近、自組織を振り返るにあたり大いに考えさせられています。
結論としては当然に組織の長である私に全ての責任がありますけど、私自身が人間を理解出来ていないことが多分にあるのだろうと考えるに至りました。
私自身は管理されるのがあまり得意ではありません。
任されて自分一人で突っ走るのが性に合っているように感じています。
もちろん、任された以上、当然に全ての責任は私に帰結しますし、成果達成のための口出しはウェルカムです。
自分自身の思考を止められる事が嫌なのであって、アドバイスなどは有難い限りです。


ただ、人は私では無いと言う本当に当たり前の事が未だに理解出来ていないのだろうと感じるのです。
それはやはり私自身が傲慢であることの証左とも言えるのでしょう。
私は私がされて嫌な事はしませんけど、私にとって良い事が他の方にとって良い事かどうかは分からないと言う判断が弱いのだと自分を理解してきました。
組織の長たるものは、組織の適切な運用こそが任務なので、所属している人間一人一人に寄り添った指導が必要なのだと改めて感じ入っています。
つまりは管理されてる事を好むのがある一定以上の数でいらっしゃってそれが多数派なのだと言う理解が弱かったと思うに至りました。
組織全ての人が思考を止めるのはよろしく無いですけど、思考を止めている方には止めている方へ向けた指導が必要となるのでしょう。
いつかどこかで気付いてくれるは誤ちであると心に刻めました。


PDCAからPDSAへと言う言葉もありますけど、OODAと言うのもあります。
リーダーは色々と勉強・理解が必要でしょうけど、現場にはやはりPDCAが重要であって結果的には定着するように思います。
組織が十年を超えるとある程度行き足がつき惰性で物事が動く部分も多分にある事でしょう。
それはそれで人間の性でもあるでしょうし、それで進める内は幸せでもあると思いますけど、世の中そんな風には出来ていません。
いつの世も努力した者だけが到達出来る世界があるわけです。
努力したからと言って誰でも報われると言うほどお花畑を生きている訳ではありませんけど、努力は必須事項であることも確信しています。
これからはより高いステージでの思考が求められている事を改めて理解してまいりました。
『チーズはどこへ消えた』になる前にコンフォートゾーンからの脱出をします。
全ては自分の想いから始まり、挑戦を通じて見える世界にまた一歩踏み出して参ります。


私の今の仮説がそのまま上手くいくとは思っておりませんけど、経験から生まれた仮説がどこまで通用して、どの程度の修正を必要とするのか、楽しみながら人生を歩みます。
一度だけの限られた時間の人生を大切にします。
 

飛行機に乗る機会が多いので、本を読む機会も自然と増えています。
最近は国際線にも乗りましたので、映画を観たりと非日常を感じていました。
本を読んだり映画を観ると知識が増えますけど、考えているかは全くの別問題です。
知らないことの接点を持つ事はシナプスを刺激して考える機会になる確率は高まりますけど、考えることを確約するものではありません。
やはり、自分の頭で考え続けると言うのは容易ではないと感じます。


人間は一日に二十万から百万もの決断をしているそうですが、その中で真剣に考える機会は少ない事でしょう。
洗顔や歯磨き、着替えなど日々の習慣に基づくものには一々思考を深めてはいないと思います。
業務上でも慣れた作業であれば深く考えることなく当たり前にこなしていくのでは無いでしょうか?
これこそが日本人なのか人間の性なのか、今の私には分かりませんけど多くの方に見られる現象です。
かく言う私も同様に思考を止めていることが多くあると認識しています。
そもそも論を唱える機会が減っているように感じる事に危機感を覚えます。


憲法であっても人が考え出したことなので、そもそも論を議論する事は大切です。
これを毎日のように変えてしまっては如何なものか、とは思いますけど定期的にはそもそも論で振り返り環境変化に合わせて適宜色んなことを変えていかねばならないでしょう。


先人のお陰で戦後(第二次大戦を指しています)大変に恵まれた環境を我々は与えられました。
それでも現代は戦後とは大きく環境が変化しています。
それを金科玉条の如く取扱い続けることにとても不安を感じています。
『失敗の本質』から何も学べていない事が残念な限りです。


それでも色んな方にお会いしていくと思考を止めずにリーダーシップを発揮し続ける方はやはりいらっしゃいます。
少数かもしれませんけど、やはり居る事は間違いありません。
マーガレット・ミードが残したように
思慮があり

動力のある人々

たとえ少数でも世界を変えられる

それを決して疑ってはならない

実際、それだけ

これまで世界を変えてきたのだから」で間違い無いと思います。

私自身も疑わず、自分の信念に従って思考を止めずに歩んで参ります。

今週もまた刺激的で恵まれた時間をステキな仲間と共有させて頂くことが出来ました。
好読している致知も田口佳史氏が対談されていて、非常に示唆に富む内容でした。


人生は一度きりで短いものかも知れませんけど、無限大の可能性を秘めて生まれてきた事も事実です。
自分の志と信念を如何にして達成するのか、自らにしかかかっていない事も間違いありません。
勿論、時の利もありますけど、自分が納得するかどうかは考え方の方が大切だと考える次第です。


「チーズはどこに消えた?」の後継本を拝読しました。
そこでは信念と言う言葉の使い方が私とは異なるものの、これまた多くの示唆を頂戴しました。
社会人早々の際に「チーズはどこに消えた?」を読んだ際にはとても当たり前のことしか言っていないのになぜ売れるんだろう?と疑問に思っていましたけど、色んな垢が付いた今の私には大いに刺激となりました。
読めば読むほどに価値を変え、刺激を与え続けてくれるもののみが永い歴史で継承されるものなのだろうと考えています。
東洋においてはそれが四書五経なのでしょう。西洋では各教典がそれに値するのだと思います。


それでも本を読んで与えられるのではなく、自分の頭で考え直すことがとても大切だと感じます。
本を読んでいるだけでは知識の集積でしかありません。
知識量はコンピュータには勝てません。
知識を如何に知恵に昇華させるかは、思考にかかっています。
気づきを気づきのままで終わらせず、何年でも何十年でも考え続けて初めて理解できることが多数ある事を知りました。
それでも知ってしまえばそれは過去のものとなり、皆にとって当たり前となります。
自分の評価を求めるよりも周囲への還元を求め続けられる自分で有りたいと願います。


致知よって知った言葉ですけど川上哲治氏は『これだけの努力を人は運と言う』と言われたことがあるそうです。
私の周囲には本人の努力によることで当然に高い評価を受けている方がいらっしゃいますけど、他人は『運が良いだけ』と言ったりします。
運には徳も関係するのだろうと強く感じつつ、私自身はやはり志と信念に従って努力を継続してまいる次第です。


本日より小学を卒業する長男と二人でBangkok旅行に行ってまいります。
年に一度の海外の習慣を昇華させて行きたいと思います。
この一年での変化も体感してまいります。





 

生まれた頃は冷戦状態の環境で、主に二大国が世界に大きな影響を与えていました。
その後、パクスアメリカーナを迎え、今ではアメリカファーストと言い出すように特定の大国が世界を牛耳る時代から変遷に至りつつあります。
それでもいつの世も大国は存在しうるので、次世代のパクスを狙っている国家があるのだろうとも思います。
冷戦では勝利を向かえた西側陣営についていた日本は現時点でも多くのメリットを享受しているのは間違いないでしょう。
とは言え、次世代にはどこがどのように動くのかまだまだ混迷を極めているとも言えますけど、これはある意味世の常であって、変化が無い環境が生まれることは無いでしょう。


平成は戦争に巻き込まれることが無かった平和な時代と言えることは間違いありません。
ただし、平和の反対が戦争では在りません。
平和の反対は混沌です。
戦争は政治の一手段でしかありません。


戦争を避けるがために自分たちの自由を奪われることを甘受するかどうかは国民の中でも意見が多く分かれることでしょう。
私は日本語が奪われ日本人の自治権が未来永劫認められないことを条件に安全を保障されることには大きな抵抗があります。
例えていうならば、奴隷として自由がない代わりに安全を約束されるのか、自己破産のリスクがあったとしても自由を求めて戦う姿勢を保つのかのような違いに感じます。
現時点で、日本の国家が衰退の危機にあると浜では思いませんけれども、国家意識というものが希薄になりつつあることにはある程度の危機意識を持っています。


皇紀2679年が保たれ続けているのは決して容易な道ではありませんでした。
先人の知恵と努力によって様々な国難を乗り越え、国体の固持を保てています。
この想いをしっかりと次世代に伝えて、更なる明るい未来を感じ取れる時代を継承したいと考えます。
知ったものの使命は大きいと感じています。
世の中にはあまり意識もせず課題にも気付けていない方が多くいらっしゃるのでしょうけれども様々な社会課題に人生を掛けて取り組んでおられる方も少数なれどいらっしゃいます。


私自身も気付いてしまった者の使命として、更なる一歩を踏み進めてまいります。


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