May 2019

双子もバッカーズ寺子屋への受験資格を得られる歳となりました。
そして入塾の許可まで頂くことが出来ました。
塾長である木村氏の著書も改めて読んでみますと多くの示唆に富んでおり、自分自身の振り返りや新たな学びがありました。
個人的に崇拝している渋沢栄一、佐藤一斎にも触れらていますし、深くは存じ上げていなかった橋本佐内の生き様や安田善次郎の行動はとても刺激になりました。
また、色々な書物を通じて人物を知っていきたいと思います。


思えば大変僭越ながら、本ブログも佐藤一斎の言志四録に刺激を頂戴して、少しづつ書き溜めておけば将来何らかの哲学に行き着けるのではないかと始めた物でもあります。
たまに読み返しても、自分が成長できたのか疑問が尽きませんけれども、成長意欲だけは絶えることなく湧き続けています。
しっかりと成果に結びつけ、社会に良い影響を与えて生きたいと思います。


今週は、一隅を照らす方々と触れ合う機会が多かったように思います。
一つのことに専念することは、時間を掛けて力強い生き様を示すことにもつながります。
勿論、そこにも志や信念が必要で、ただ漫然と過ごす中では得られることは出来ません。
目の前にあることに集中して、意識することで効率化を図り以って、周囲に貢献する生き様は感嘆に値します。
我々の仕事は、狭い世界の事のようにも見えますけれども、実際には多くの協力会社があって成立しているので、総合管理業務と言えます。
しっかりと結果を出すためには、一隅を照らす方々と意と力を結集することが必要不可欠です。
一燈照隅万燈照国は従前に聞いてきた言葉でとても意識しています。

多くの一隅を照らし続ける方々と力を結集し、我々も施設管理のマネジメントの一隅を照らすことで国家に貢献を果たしてまいりたいと思います。



長男がバッカーズに通っている際に改めて勧められていたのが、日本アスペンでした。
存在自体は、KAILにて小林陽太郎氏をこちらも改めて知る機会を得たことから、いろんな本を読んでいる中で、設立に尽力した団体のひとつとして認識しておりました。
勝手なイメージとしては、もう少し年配の方が行かれるものかと思い込んでおりましたけれども、私くらいの世代でも機会を与えられることを知り、一昨年度の途中からいける機会をうかがっておりました。
本年であれば、いけるものと昨年度申し込んでおりましたけれども、先日入学許可を得ますとともにテキストも送られてきました。


序文には小林陽太郎氏の言葉から始まっており、期待を裏切らない機会になることだろうとますます楽しみになってまいりました。
学生時代に一応理系コースと言われる側に所属していた私には一般教養というものは消化するためだけの教室でしかありませんでした。
ただ、工学部の講師から『理系だからこそ一般教養こそがとても大切になる』と言われたことは何故か強く記憶に残っています。
当時は、真逆のことを言われたという驚きで記憶に残ったのでしょうけれども、年を重ねるごとに含蓄あるメッセージであるように捉えていました。


ここで改めてリベラルアーツを学べる機会が与えられたことに深く感謝するとともに貪欲に学んでまいります。
社会人になってから学びへの興味がどんどん湧いています。
学生時代には授業をサボる知恵ばかり働かせていましたけれども、今通うことになれば一講義毎に真剣勝負で休講に対して喜ぶことは無く、クレームを上げてしまうような自分がイメージできるほどです。
人間は学びたくなった時には大いに学ぶものだと我ながら感心しています。


『大いなる力には大いなる責任が伴う』
スパイダーマンの映画にあった言葉であり、野田智義氏もよく活用されるフレーズが最近は良く頭を駆け巡ります。
ホームドア創業者の川口氏による『知ってしまった者の使命』も同じような意図を持って私に問いかけ続けます。


多くを知る機会を頂戴してその社会課題に気付きある程度の権力を付与されている私には、個人の欲望以上に社会への貢献がもとめられていると考えています。
個人の最大の欲望が社会への貢献であることに成りつつもあります。
これこそ本当に恵まれた環境であるように思います。


個人の思惑・行動はまだまだ視座が低く、至らない点は多くありますけれども、多くの親戚・社会に教えていただいた学びは次世代にしっかりと残してまいりたいと存じます。

野馬追の初陣は数えで14を迎えた平成元年でした。
今年の令和にも出陣の機会を頂戴しました。
昭和からの歴史の継承者とはなりませんけれども、その役目は兄貴に任せるとして、平成と令和の時代に亘り出陣できる事に感謝と誉れを強く感じます。


娘が『耳をすませば』を借りてきて久し振りにカントリーロードを聴きました。
私がその音楽を聴いた時に感じる原風景は相馬地方です。
次世代にもそのように感じられる景色を増やしてやりたいと思います。
魂が震え、身体が感じる場所がある事もとても有難い限りです。


『天は自ら助くる者を助く』の言葉の通り、人生は他人が作るものではなく自らの力で切り拓き創り出されるものであります。
令和の時代も次世代への継承を大切にしてまいります。
誰かとの比較ではなく自分自身との約束によって成長していきます。
十代の頃から比較しますと考えている事はどんどん変わってきていることを感じています。
これはとても心地良く将来どこまで魂を高められるのか、とても楽しみです。












 

皆様、令和を健やかにお迎えになられたことと存じ、謹んでお慶び申し上げます。


令和の時代に限らず、常に課題はあるものと思いますけれども、いつの世も教育が重要であると考えています。
歴史から学ぶ機会を多く増やさなければ、自分で見える範囲でしか判断が出来なくなることを危惧しています。
何より、最近特に気になりますのは、『自分の頭で考える』方がとても減っていると感じる点です。
様々な問いに対して、解はありますけれどもそれらを知識で答える方がとても多く見受けられるのです。
カーナビ上司と言う表現もありましたけれども、どんどん思考を止めて、単なる試験への解を答える方が増えているように感じます。
試験には答えがありますけど、実社会には正が見えないことが沢山あります。
そんな中でも自分の志・信念に拠って、より正しい道へ近づける努力を継続するしか出来ないと思っています。


学び習うから、問いを学ぶ時代が常にあったかと思いますけれども、目の前の経済的繁栄を求めて単調な学習を明治維新以降実施してきてしまっているように思います。
勿論、それによる栄華を受けて、我々の時代が恵まれらたものになっていることは感謝とともに受け入れています。
ただし、このような時代が永く続かないのは当然であるのも歴史に学ぶことが出来るでしょう。


人間は常に自分の頭で考え続けなければなりません。
限られた人間だけになるのかもしれませんけれども、気付いてしまった人間には多くの使命があります。


昭和の高度経済成長期を追い求める方がいらっしゃいますけど、私には世界の中で自国だけが伸びることを良しとする風潮が理解できません。
あの時代は冷戦と言う背景があって、不沈空母として共産圏との最前線に立っていた西側職から日本への最大配慮とも言えるでしょう。
平成の時代に中国が伸びたことも、冷戦時代に上がりすぎた日本経済への抑止力として成立していると思います。
もっと永い歴史で見れば、大国とはやはり人口に比するのが当然でもありますので、面積が限られている日本において経済のみで一番を目指し続けるのはそもそも違和感があります。
一番を目指すことはとても大事ですけれども、どの分野で一番になるのかはしっかりと考えなければいけません。
日本にとって何が大切で何を誇りにしていくのかは歴史を紐解いていくことで多くの気付きがあることと存じます。
その大切なものが国民全員で全て同じになることはないと思いますけど、複数名によって多く重なるその事象を次世代に残してまいりたいと存じます。


元号が変わることで多くを考える機会が生じたことと存じます。
私自身の商売への取組もギアを上げていくより具体的なイメージが湧いてきました。
何より、学びを深め教わるだけから、自分の頭で問い続けることをしっかりと継承したいと思います。


正しい答えを求めるのではなく、正しい問いを探し続けたいと思います。



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