November 2019

今週も大いに学ぶ機会を得ました。


大切なのは学ぶだけではなく、「学びときに之を習う」がセットになっているのが良いのだと思います。
習うの語源は『羽』と『白』から出来ていて、雛鳥が親鳥から飛ぶ事を教わった後は命がけで練習することからこの字になったと教わりました。
現在の実行策で命が取られることはほとんどないでしょう。
つまりは学んだら挑戦することがとても大切なんだと感じています。
この点は大いにご意見が分かれるところかも知れません。
それでも人生において成功を収めたと言われる方は挑戦無しには語れません。

挑戦の反対は失敗では有りません。
失敗をそのままにしないことが人生の成否を分かるようにも感じます。
『愚者は経験から学ぶ』とは言いますもののやはり経験から学ぶことはとても多いと思います。
それは習うを実践した結果だからではないでしょうか。


習うは初めてのことが多いのです。
最初から上手くいくことなどありません。
それは挑戦していない証左とも言えます。


私は今、大きな変革を組織にもたらせようと考えています。
そのために最も肝要なことは私自身が最も変わるということだと確信しています。
この1、2年でも『変わった』と言われる機会も増えましたけれども、私のイメージではもっともっと大きく変わっていきます。
今週の月曜に受けたセミナーでも大いに学びました。
この話はまた改めてしたいと考えていますけど、アダムグラントが推奨している話を実践されているインドの実業家実践家による講演でした。
その話の中に『人間は環境の影響を多分に受けている。だからこそ自らで環境を変える努力が必要である。付き合う人間をどのようにするか選ばなければいけないし、付き合いたい人から選ばれる努力も必要だ。』との言葉も有りました。
人生は有限です。
時間は誰にも平等に与えられています。
一朝一夕で成せることは大したものでは有りません。
自分の時間を活用し、能力を磨き上げる努力をすることで環境は自らの意思で大きく変えることが出来ます。
環境は長時間をかけて自らが作り出した物でしかありません。


朋が遠方より来る前に自らで動ける自分でありたいと思います。(もちろん朋からも声をかけられたいとも思っています)
世の中の人が私を知らないことは当然で有り、平穏な生活を送るにはその方が良いことばかりです。
何事をも成しえていない私が知られることはないでしょうし、成したとしても目立たずひっそりと謙虚に生活して行くのが、私にとっても幸せです。
為すべき事を為し続けて、いつの日か何らか成したいと願うばかりです。

 


 

生物は。奇跡のような関係の中で先祖のお陰で生まれ、孤独に死んでいきます。
その間に子孫を残したり、子孫のためにできることがあるのは幸せなことでしょう。

究極的には常に孤独の道を歩んでいるとも考える時があります。
100パーセント誰かの代わりは出来ませんし、自分以外の人を正確に理解することも出来ません。
どこかで意見は分かれ、対立したり、印象によっては裏切られたりするような気になることもあります。
リーダーたるもの孤独にはある程度耐える力が必要だと思っています。
ただし、だからこそ本当の意味で仲間が出来た時の喜びはとても有難いものだとも思っています。


仲間としては会社のスタッフも勿論そうですけど、経営者仲間であったり、学友なども仲間に成り得ることでしょう。
人生においては不安を感じることが多分にあります。
私はRCサクセションの『君が僕を知ってる』と言う曲に勇気付けられたことを強く記憶しています。

私自身が何者であるかは私よりも周囲の仲間の方がよく理解してくれています。
孤独と不安を強く感じる時には、自分の仲間だけが全てを理解してくれていると信じられれば、一筋の心にある暗闇の沼地を独りで歩くときに力を貰えると感じます。


仲間を作ることは容易ではないことを理解しています。
ある日突然にできる事は決してありません。
まずは自分が仲間が大切だと思い、仲間が欲しいと願うことから始まるのだと思っています。
経営を良くすることも同様で、論語にあるとおり『その意を誠にす』を心に刻んで、また一歩づつ歩んでまいりたいと思います。


本日は、仲間と思っている方が監督をされているラグビーの試合を観に行きました。
この方とのご縁でワールドカップも面白い試合を観戦することが出来ました。
にわか中のにわかファンですけれども、コカコーラを今後も応援していきたいと思います。
近くで見られて、試合後には声もかけられる日本のラグビーの有り方はとても面白いと感じました。
何より試合後のノーサイドの精神は当たり前に実施されており、勝者も敗者も無くお互いの検討を称えあうことを感じれたのはとても興味深いものでした。






人生を変えるのは他の方の何気ない一言であったりするのかもしれません。
発した人間にとっては記憶に残らないようなものでも、受け取った本人にとっては大きなインパクトを与えている場合があります。
私自身も何度もいろんな方に刺激を受けていますけれども、狙って発言したものでは無いものが多いように思います。
私を慮っての発言でなくともとても心に残ることもあります。
逆に私が覚えていない発言を大切にしてくれた方もいらっしゃいます。


この人生に影響を与える誰かの発言はなんであるのかについて考えました。
何故かと言いますと先日参加した講義においても人生に大きな影響を与えたお話を聞いた際に感じたことがあるからです。
それは、人生が変わるような発言は自分自身にその準備が整っていたと言う事なのではないかと言うことです。


『人生は思ったときに変えられる』物だと思っています。
勿論、第三者からの評価はそんな簡単ではありませんけれども、新たな道を歩む覚悟ができた時点で多くのことは備わっています。
ホモサピエンスと言う動物的視点からすれば、安定こそが最大の希望であって、変化を好むものではないようにも思います。
それでも現実には環境は変わり続けています。
ダーヴィンの言葉の通り、強いもの賢いものよりも変化し続けられるものこそが生き残れるのでしょう。
この変化を恐ろしがるのも我々のDNAに刻まれているのかもしれません。
それでも常に自分自身を変化させる意識とその挑戦を継続させなければ、それは停滞ではなく衰退でしかありません。

日々、目にしたり耳にするものから如何に刺激を頂戴しようとしているかがとても大切だと感じます。
私は大きな変化を通じて社会に貢献してまいりたいと考えています。
おぼろげながら次の自分の課題を感じ始めました。
この壁を越えることができたときには、更なる挑戦に向かいたいとも願います。


多くの方の何気ない一言にどこまで感応できるのか、そしてその瞬間には感謝をして次の段階へ向かってまいる所存です。


今週は改めて貞観政要の六正六邪を学んで来ました。
これからの将来においても自分自身がどのように有りたいのかを考え続けまして、実践してまいります。
古典に如何に学ぶかは、私にとってより良い人生に不可欠なのだとも感じている次第です。

先月(11月号)の致知を繰り返し読んでいます。
特集が表題の『語らざれば 愁なきに似たり』でした。

私は致知にて初めて知った言葉でした。
大変に含蓄ある言葉だと感じます。
多くのリーダーは語ることなく生涯呑み込んでいく歴史を有していると思います。
リーダーはやはり明るい方が望ましいと考えています。
どんな苦悩を抱えていたとしてもそれを見せずに明るく振る舞うことは容易ではありませんけど、それによって周囲は大いに力付けられます。
勇気を与えられるリーダーはとても魅力的です。
私はそのようなリーダーに数多く接してきました。
色んなことをお聞きすると普段は語られないとても大変な苦労を経ておられます。
普段はそんなことを微塵も感じさせず、明るく常に前に出ようとしている姿勢には敬服します。


何も語らないことが良いと言っている訳ではありません。
説明責任もあるので、何かの意思決定をした場合や、業務指示を出す際には明確な理由を伝えることはとても重要です。
それでも他人には見えない、見えていないその先を見据えて沼地に一歩足を踏み入れる覚悟やそこに至る葛藤については広く多く語るべきものとは思いません。
リーダー仲間とはある程度共有できるのかもしれませんけど、全てを語り合うものでもないと思います。


同じ時間・空間を過ごしていても思考は大きく異なります。
思考の深さは一朝一夕で見にたかものではありませんし、深い考えも浅はかな行動によって負かされることもあるかもしれません。
それでも思考は深め続けなければ行けないと思います。


来週は一月空いてしまいましたけど、貞観政要の講義があります。
先月分は音声と紙面にて勉強させていただきましたけど、やはり学ぶ事が多い内容でした。 
直接の薫陶はとても有難い限りですので、しっかりと学んで参ります。
その翌日は相馬藩の始祖である相馬師常の命日です。
800年を超えて多くの方々にもお詣り頂けている事が続いている事も驚異ですけど、我々にとっては深い敬愛と畏怖の念を持って始祖と向き合う大切な時間にして参ります。





 

表題の本を読了しました。
存在を知ったのは、息子たちが通っているバッカーズ寺子屋九州からの配布資料(昨年のPRESIDENT誌掲載分)でした。
雑誌2ページを一読して興味を持ちましたので、早々に購入しました。
読んでみてもとても興味深い内容で、いろんなことを考えさせられました。


一番に思い浮かんだのは、我が社員と我が子でした。
筆者が懸念している範疇にいるのでは無いか?ととても気になっています。
早速数名には本の中にある問題を解いてもらいましたけれども、残念ながら誰一人全問正解はいらっしゃいませんでした。
良かったのは全問不正解者もいなかったことです。


こちらで出ていた問題は知識量を問われる内容ではありません。
その場で教えられる日本語を正しく読み取らなければ、間違えると言うだけです。
これでは与えられている課題をそもそも正確に理解できていないということの証左でもあります。
読了したときにとても恐ろしい気持ちになりましたのは、この違いがわからないまま生活自体が滞りなくできてしまうと言うことです。
この教育格差なのか論理力格差なのか、国語力格差なのか、未だに表現を理解できておりませんけれども、読解力の差は人生においてとても大きな差になってくることは間違いありません。
この本はより多くの志を持った方に読み進めてもらいたいと思い、社外の方でとても若いけれども優秀な方に懇願するように読むことをお願いしました。
同世代において読解力の差があっても見捨てることなく、挽回する機会を与えてもらいたいと思ったからです。
このAIには気付けない差を感じ取ることが出来なければ、AIに使われる側になることは間違いありません。
過去にある集積された情報から答えを導き出せる場合は、AIに勝つことが難しいからです。
そもそもの課題設定をどこに置くかこそが、AI等のコンピュータには決して出来ないことだからです。


ホモサピエンスは30万年ほど前から存在していますけれども、一度も新たな生物を生み出すことは出来ていません。
ここで言う生み出すとは、品種改良のようなものではなく、もともと自然界にある力を使わずして、意思を持った生命を生み出せていないと言うことです。
固有の意識を持った生命を与えることはまだまだ難しいことなのだろうと思います。
私自身はそんなことが出来る日が来るともあまり思ってもおりません。


ただし、目の前でAIが目覚しい進化を遂げていくことは理解しています。
AI技術等により、無くなる職種は沢山あるでしょう。
いろんな世界でイノベーションが起きれば当然のことです。
一つの技術しか持っていなければ、機会が奪われることは起こり得ることです。
それでもどんなにAIが発達しても奪われない仕事もあります。
それは『自分の頭で考え続けること』です。
与えられたものだけではなく、常に自分の意思で人様のことを考えて役に立つサービスについて、自分自身が共同体の一部であることを理解して行動をし続ければニーズは必ず見つけ出せます。
現代は、飢餓に困っていた時代に比べればとても生きやすいことでしょう。
戦乱に巻き込まれていない地域は生きていくことの大変さを理解できづらいことも分かります。
それでも世界は変化を止めることがありません。


自分の頭で考え続けなければ、見えてくる世界はとても狭いものになり、自らで機会を生み出すことは出来なくなります。
この本をこの時点で読めたことはとても有難いことだと思いました。
新たにこれからも多くの気付きを皆様と共有できるように勤めてまいりたいと思います。
ベストセラーなので多くの方が読まれていることと存じますけれども、読んでいない方にはお薦めします。
特に育成部門にいらっしゃる方は意識されたほうが良いように思います。
テクノロジーが発達した結果、自分の頭で考える機会が奪われてしまう方が多いようです。
会社・組織が継続できるよう自分の頭で考え続ける社員を増やしてまいりたいと思います。

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