April 2020

少しずつではあるもののアフターコロナへの機運が高まってきているように感じます。
エビデンスと共に夏の環境には一時期的に武漢ウイルスは弱体化すると見込まれます。
ゴールデンウィーク明けに全て元通りとはなりませんし、基礎疾患がある方や年配で免疫力が低下している方は引続き制限が掛かるようには感じています。
何より、あくまでも第一波のピークを超える可能性と言うだけで、ワクチンが出来ていない現状からは第二波での更なる被害拡大の回避にはより大きな制限が必要になるものと見込んでいます。
ニューヨークでの様々な取組みは大きな示唆を与えてくれています。
他の国の取り組みも大いに参考になることでしょう。

ゴールデンウィーク明けに日本もエビデンスに基づいた様々な追加情報への対応で早期の終息に向けた行動を国民一丸となって取り組めば、秋口まではある程度制限が解除された生活を送れるように期待しています。


いづれにせよ、ビフォーコロナとは大きく価値観も変わってきているでしょうから、昨年末以前の状態に戻るという選択肢は我々には無いと考える必要があります。
既に多くの点で変化が生じていますけど、それらが元々求められていた世界なのか?無理をしている世界なのか?しっかりと見極めていく必要があります。
現在のテレワーク等にいち早く対応できた企業・組織はそれまでに多くの準備をしていた証左です。
この冬から始まるであろう第二波へは今からの準備でも大きく対応が分かれてきます。
我々も多くの気付きをそのままにせず、しっかりと次に備えたいと思います。


今回色んな所で耳にする機会も増えてきましたけど、やはりこの様々な制限は多くの方にストレスがかかっているようです。
結果として怒りの表現を目にする場面が増えており残念な限りです。
制限が掛かる生活はストレスがかかることでしょう。
それでも誰が悪いわけでもありません。
皆で享受しなければいけない環境なのです。
自分たちにとって多くのトレーニングの場だと捉えて、前向きに対処する方が増えてくれることを望みます。
恐らくは失ったものばかりに心が奪われているが為に自己の精神を保つために周囲へ怒りをぶつけてしまうのだろうと思います。
このようなときには失ったものではなく、自分たちに残っているものを大切に考えてほしいと思います。
出来なくなったことをしようとすることで、出来ることすらできなくなってしまいます。
私は、自衛隊である程度一般的には不自由な時間と言われるものを体験しています。
また、東日本大震災で甚大な被害を被った相双地区で震災後から2か月ほど暮らす中で、今ある物に感謝することの大切さを大いに学びました。
武漢ウイルス以降、事業の営業面では大きく計画の変更を余儀なくされていますけど、逆に思考を深めたり社内の制度設計に時間を割くことが出来た結果として進んでいるものも多数あります。
計画時点の順番が変更になっただけと捉えると共に思考を深める機会を得たと考えていることが肝要だと思います。


各人置かれた環境は異なりますので、一様に取り扱うことは出来ませんけど、どうぞ心の平穏を扱うのは他人ではなく自分自身でしかないことを踏まえて、周囲に負の心を当てないようお願いしたい限りです。
家にいる時間が増えていることから、ネットサービス等が伸びているようです。
特にネットで配信される有料の映像コンテンツが増えているようですけど、それよりはこのようなな機会だからこそ、ご自身の思考を深める、学びを高める時間に充ててもらいたいと切に願う次第です。
時間だけは富者も貧者も関係なく平等に与えられているものです。
この有限な時間と言う資源をどのように活用するかが人生を決定づけます。
全世界でウイルスと闘う数少ない機会を与えられた世代として、次世代に何を遺すべきかを考えて実践する機会になることを望んでおります。

今週も学びを深められる良い機会が続いています。
久しぶりに手に取りましたのは統計学です。
大学生の頃に入門レベルで受講した際に、数字が持つ意味や価値につき色々と学びました。
標準化を進める上では、統計学を活用した方がより効率的になると考えまして、
改めてスタッフ部門含め、様々な数値を活用して思考を深めています。
一朝一夕ではいきませんけれども、数字を眺める時間が増やせている今は新たな気付きも多くあります。
やはり、感覚値であったものを数値化することによる実証にも価値が有りますけれども、
全ての数値を見比べることで新たな発見があることもまた大いなる価値だと感じている次第です。

あまり積極的にはテレビと言うメディアにはあまり触れないようにしていますけど、
時折耳にしたり目にする範囲では、残念ながら今回の武漢ウイルス騒動でもあまり良い報道がなされていないようにお見受けします。
政権の批判は健全な政府運営には必要不可欠かと存じますけど、
批判と言うより否定ばかりであまり建設的な異見を聞けたことがありません。
かつメディアにとって都合の良い専門家なるコメンテーターを集めているのみで、
番組内で建設的な議論がなされることもなく、
何事も結論が決まっているような集約のなされ方が取られます。
限られた時間の中で、何よりスポンサーがいる中では当然の資本主義の論理だろうとは思いますけど、
それであれば、我こそがこの世の正義のような立ち居振る舞いは残念で仕方ありません。
更にはメディアリテラシー教育がなされていない世代(主に年配者)ではメディアを批判的に見ることも出来ず、
受け身で意見自体をそのまま受容してしまう傾向があります。

私にとってメディアの一番の違和感は全てが都会寄りであるということです。
これもまた視聴率の観点からすれば、当然の理屈とも言えますけど、
それにウンザリしている地方の人間が多くいて、
TVと言うメディア離れは増々進んでいくものと思っています。
ウイルスの拡散防止のため、8割の人間との接触を断つ事を求めらている中、
地方と都市で行ったり来たりしていた私には95%以上の接点が減っていることを感じます。
週に一回から二回は公共交通機関でお江戸に行くには、
最初に乗る電車から地下鉄、飛行場、機内、モノレールまたは京急に乗り込んだ時点で
すれ違う人数と比べれば、会社のみの移動では車でDoortoDoorで誰とも会うことは有りません。
週末には子供と散歩に出ますけど、人とすれ違うことは元々殆どありません。
メディアであるような買い占めも殆どありませんでしたし、今現在もヒステリックな状態には至っていません。

地方には地方の苦労は勿論ありますし、
都会人にとっては耐えられない生活をしているのかも知れません。
でもそれらは今回のような危機があれば表裏一体でもあると思っています。
私には都会で暮らすことの価値がどうしても見出せません。 

医療崩壊も都会において発生しているのであって、
地方では高度な医療もある程度担保しようとして皆が努力して成果を残しています。
全国に緊急事態が発令されるのも都会の患者の受け入れ先の確保であることが見え隠れしてしまいます。
TVメディアがさも正義かのように多くの訴えをしていますけど、心には響きません。
国民一人あたりに現金が支給されることになりましたけど、
これらは税金であって将来的に国民が負担すべきものでもあります。
現時点で困窮している方々には、即時発給してもらいたいと切に願いますけど、
それこそ不要不急の方は自らの意思で辞退するべ出来でしょう。
世帯対応ではなく個人を対象にしたことは子供の多い我が家にとっては納得感のある制度でしたけど、
これも個人ごとの環境によって受け取り方は千差万別でしょう。
政策判断が満場一致になることは有りませんし、
そのような評価を受ける製作は遅きに失した当たり前のものでしょう。

各国にとって、戦争は決断含めほぼ自らの意思で始めるものでしょうけど、
今回の混沌は期せずして発しており、この中でリーダーシップを発揮するのは容易ではありません。
全員で壮大なる社会実験をしているようなものでも有ります。
人生とは自らの意思で考え、
自らで決めるべきものであるという当たり前のことに気付ける良い機会であるとも思います。
歴史や統計学から多くを学べば、多くのメディアに疑問を持つことが可能になると思いますので、
これを機に幅広い分野で学んでまいりたいと存じます。

ご先祖様はこの困難を乗り越えて今の時代を残してくれました。
それでも口伝や歴史で強く残したことは戦争であったり、自然災害でした。
ウイルスとセットでそれらはやってきたこともあるようです。
過去にはウイルスと言うものを科学的に解決することが難しく、
宗教心等によって解決が図られてきたこともあるのかもしれません。
今、現役である我々はアフターコロナにどのような社会を次世代に残せるのか真剣に考え、
行動を起こし続けていく責務があると考えています。

今学びを深める若者の中には、医療従事者や科学者を目指す方々が増えることだと確信しています。
また、これからの未来を創造していく多くの人物は地方にいることもこれまた確信しております。

今週は緊急事態宣言も発動され、国民生活も大いに変容を迎えています。
何が正しいかは自分の頭で考えなければいけません。
どこかに明確な答えが無い当たり前の世界に気付き始めた方が多いようにも思います。

企業活動は大きく制限され、立場によっては仕事自体が無くなる方々も多数出てきています。
現時点でも出口は見えず、まだまだ混沌とした日々は続くことでしょう。
その様な中でも我が国日本は冷静な対応が出来ていて、やはり素晴らしい国民性と言えると感じています。
現時点で気になっているのは、出口が見えない状況です。
希望を持つには、出口が見えていることです。
勿論、理想の世界は皆の頭の中にあるとは思いますけど、現時点ではそこにタイムリミットを設けることが出来ていないように感じます。
一旦ゴールデンウィーク明け迄が宣言期間とされていますけど、これは今のままで行けば、単純に延長されるだけでしょう。
若しくは、一旦通常状態を宣言してもその後数度にわたり今回のような宣言がなされることになるでしょう。
特効薬やワクチンが出来るまでは、解決は無く、第一波を乗り越えても第二波時点で、毒性が増していれば更なる被害が拡大することでしょう。
休業補償などに財源を用いるよりは、薬の開発に人類の叡智含め財力も大いに投下すべき時期かと考える次第です。

私は科学者ではないので、論理的な理屈が全てわかっているわけではありませんけど、若者が重症化しにくいのは統計学的に事実と見えますので、それであれば、軽症な内に快復した方々には経済活動に邁進してもらう仕組みが必要なのでは?と考えています。
私自身も3月中は東京出張も控えつつも実施はしていましたので、既にホルダーになっている可能性もありますし、発症せずに終えたのかもしれません。
その様な人間が誰なのかが分かれば、経済活動をある一定規模で継続することが可能であると考えています。
勿論、その後のウイルスの展開の可能性を検討しますとそのような単純な意見ではないようにも思いますけど、飲食店などのサービス業は青色吐息になっています。
これらの方々が居なくなると、アフターコロナにおいても人類の楽しみの一つを失うことになると思います。
我々の経済活動の先には文化人やサービス業の発展があってもらいたいと願います。

その為、現在生活が激変を余儀なくされ、困惑された生活を送られる方には正しく希望を持ってもらいたいと願うのです。
VEフランクルによれば、収容された世界の中で最後まで希望を持たなかった者のみが生き残ったそうです。
希望を持っていても生き残れなかった方もいらっしゃるのは事実ですけど、絶望した方は自らの意思として生を継続することをあきらめてしまったそうです。
どんな状況においても希望を忘れず、今ある環境で笑顔を保ち、来るべき明るい未来に備え可能な範囲でよく食べよく眠り、健康を維持する心を失われないことを願います。


まずは、5月の連休明けまでは社会インフラとしての医療機能維持に私共も務めてまいります。
それでも活動に制限は掛かっていますので、その分はアフターコロナを見据えて、学びを深めてまいります。
物流が止まっていないことは幸いで、多くの図書に触れて学びます。
人・本・旅・星・呑に普段は学びを求めていますけど、人・旅・呑は中々望めません。
よって、本と星に学ぶことに一時期的に重点を置きます。
とは言え、私の言う『星』は三ツ星レストランと言うような食も含まれますので、時間軸としての『星』から学びます。


全ての環境を自分にとってのベストに揃えることは有りません。
人財や景気においても選別するのではなく今ある状況でベストを尽くしきるのみです。
無いものや奪われたものに目を向けるのではなく、今あるものに感謝して次世代につなげてまいりたいと存じます。




 

本年は初めての入社式を執り行いました。
初めての新入社員を迎えるに当たっては当日の朝でも本当に来るものかドキドキしていました。

入社式や年度方針発表会、懇親会など初めてづくしではありましたけど、良い経験として今後に活かせるものに繋がったと感じています。
次年度以降はまた改善していきたいと思います。

今週も武漢ウイルス(COVID-19)により、環境が変化していく週でした。
私は1~2年程度の対応が必要であると考えていると共にあくまでも一過性の物であって終息するものであるとも考えています。
これからの武漢ウイルス(COVID-19)対応期間は各人・各組織が爪を研ぐ時期であって、『忙しくないから成長しない』のではなく、今までできなかったパラダイムシフトを加えることも出来る大転換期への必要な備えの時期とするべきだと認識しています。

経済一辺倒の価値観から大きな変容を遂げるものと見ています。
既に『アフターコロナ』と呼ばれるであろうそんなに遠くない将来を見越して行動を開始してる方々もいらっしゃいます。
今まで何としても出来なかったことが、環境変化によって達成できていく側面もいろんな場面で見受けられます。
この変革期にリーダーとして職務に当たっている人間は大いに責任を感じて、実践をしてもらいたいと思います。


武漢ウイルス(COVID-19)は慎重に対応する必要がありますけど、世界の終わりを表すものでは決してありません。
人類がいかに打ち勝っていくかを実践する当事者として多くの方の思考と行動に期待しています。

月刊致知から休校の子供向けのメルマガがありました。
その中に本当かどうかは別にしての紀伊国屋文左衛門の話が有りました。
一つは私の祖母のエピソードもあり、聞いたことを思い出しもしましたけど、真偽のほどは定かではありません。
それは、国難であったり一般の人が困っているときに大儲けしたと言う逸話への戒めでした。
現在は武漢ウイルス(COVID-19)によって、多くの方が疲弊しています。
そんな中でマスクの転売を高額にするなどは以ての外だと考えています。
ニーズがあることで売上等が上がることに連動して適正な金額での利益を得ることは全くに否定しませんけれども、困っている人へこの機とばかりに吊り上げたりする商売が長続きすることは決してないでしょう。
健全な社会の継続のためにも困っている方が多い時こそより一層襟を正した行動をしていきたいと思います。




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