August 2020

昨日の速報に大変驚きました。
今夏に有る方から、顔色が相当悪いので政権運営に不安があると指摘されたことが有りましたけど、私にはそのように見えておらず、あと一年の任期自体を延長することも視野に入れてよいのではと考えておりました。
その方の洞察力の高さに改めて恐れ入った次第です。


奇しくも首相としての連続在任最長記録を果たしたばかりでこのような決断を成される結果となったことにはご本人も残念で仕方ないことと存じます。
政権取り戻されてから、経済の安定を果たし、外交面においてもプレゼンスを上げることが出来たことは将来大いに評価されるべきことでしょう。
個人的には長州出身の方に対してどうしても簡単に受け入れられない立ち位置の方なのですけど、恵まれて数度直接に対話する機会を得た身としては、本当に誠実さが滲み出ている人柄に感じ入りました。
持病による結果としての退陣は、ご本人も忸怩たる思いが有ることと存じます。
それでも一旦リリーフを入れて治療に専念されるのではなく、責務を果たせないことが分かった以上身を引かれるという大きな決断をされたことも大いに評価されることだと思います。
総理と言うのは孤独なポジションです。
誰に相談するでもなく何事も自分の信念に照らし合わせて自らで決断する必要が有ります。
権力にしがみつきたくなるのは歴史が示していることだと思いますけど、公権においては高潔な人柄が求められるのでこれを受け入れるわけにはいきません。
その点も踏まえて、自らの進退を誰にも譲らず決断されたことは国家の代表として国民も誇らしく思ってよいことと考えている次第です。

正直、次世代を誰が継ぐべきかと言う事においては、まだまだ分かっていないところが多くあります。
ただし、元海上自衛官としても石破氏などが成ることには大いに避けておきたいと考えております。
少数の方の否定しかできない自分を理解して、改めてもっと政治と密着して政治家を送り出すことも国民の一人として大きな責務が有ると感じ入っている次第です。

安部氏の辞任において大いに違和感を覚えましたのは当日の質疑です。
メディアの質問のレベルの如何に低いことでしょう。
目先のことしか問えない寂しさを覚えました。
これらの方々の言い分が国民の代表なのだとすれば、私は国民とは大きく意見を異にします。
これ以降は国民のレベルの低い意見に捉われることなく、少数であったとしても長期的な視点を持てる高貴な人間によって政治決断をしていくべきだと確信しております。
歴史書を多く読めば読むほど、日本と言う国家は少数の偉大なる指導者によって、誇らしい国体を保っていることと理解致します。


安部首相の辞任は経済に大きなダメージを与えることでしょう。
外交にも暗雲が立ち込めています。
民主党が政権を握っていた時代ほど悪化しなくとも、今よりは厳しい局面を迎えることに成るのは間違いありません。
それでも、日本の未来は明るいと確信しています。
日本には類まれなる底力があります。
如何なる国難も乗り越えてまいりました。
根拠なく楽観的に捉えているわけでは有りません。
世代を超えて多くの素晴らしい方がいらっしゃることを私自身が垣間見ることが出来ています。
今まで歩んだ平成の30年の延長ではなく、未来からの反射を活用することで次世代により良い機会を与えられるよう現役世代として目の前の課題に全力で取り組み続けます。


安部氏にはまずは療養頂くとともに大いに今までの功績に謝意を述べたいと存じます。
勿論、次期総裁が決まるまでは引続き重責を担って頂きたくお願い申し上げる次第です。




私が行動としてとても大切にしているのは良い習慣付けです。
そしてその為には考え方がとても大切だと感じています。
結果として現れるのは氷山の一角であり、その下には見えない部分として大きな考え方と日々の習慣が有ると思っています。
色んな所で議論になる、考え方と習慣とどちらが大切かと有りますけど、結果としてはどちらから始めても双方に相乗効果が有るように理解が出来てきました。
以前は、考え方が無ければ、行動は意味を成さないと捉えていましたけど、時間を掛けていく内に正しい習慣であれば考え方も備わってくることを理解してきました。


コロナ禍で様々な生活習慣に変更を求められています。
巷に言うニューノーマルなんですけど、これらについてはよくよく考えて自分たちの意思で決めていく必要が有ると感じています。
今週日経にて公表された4~6月期のGDPの速報値は多くの方にとって想定されていたものかもしれませんけど、重く受け止めるべきことであるように考えております。
コロナでも人は亡くなりますけど、残念ながら経済でも人は亡くなります。
感染者を『0』にすることを必須とした施策を取りたいものの、この感染力の強さからは現実的ではないことを受け入れざるを得ないようにも感じています。
若い世代での重症化の低さからも未だ解明されていない部分はあるものの、適切な対策をしなければ今まで救えてきた様々なことを守れなくなってしまう現実が実感を伴ってきてるように思います。
更には、様々な立場での各種意見が一方通行で発信されるのみで、適切な議論が生み出されず、視聴率優先の商業主義メディアのバイアスの掛かった意見や右でも左でも偏った方々の発信に終始されていることをとても危惧しています。
残念ながらなのか、恵まれていてなのか、多くの国民は自らの頭で考えることなく、お上に従順であることを是としている国民性が浸透していると感じています。
この機に自らの頭で考え行動する機会になることを望みつつも、歴史的な背景からしますとこの国家は少数のリーダーによる適切な判断に依存をし続けるでしょうから、当事者意識を持った人間から自らの行動を変革して、事に臨み続けるしかないのだと思います。
それでも日本には底力があって、次世代のために適切な判断・行動をしていくものと確信もしています。
ただし、それは黙っていて与えられるものではなく、現役世代として責任を痛感している私自身の行動や発信も必要であると理解しています。
今回のコロナ騒動は国家としても多くの試練を与えられています。
明確な正解が無い中で、様々な決断の連続が求められています。


このような状況になるとは一年前では想像もつかないことでしょう。
それでも常に備えておくしかないのだと思っています。
その為にも考え方と習慣付けを日々どのようにするか、現役世代として当事者意識をもって責任を果たすべく思考を深め続けてまいります。
コロナ禍を通じて、朝の英会話と夕方の筋トレは新たな習慣として取り入れつつあります。
10年後にも同じ課題で頭を使わないで済むよう現時点での本当のイシューを特定して、一歩ずつ確実な変革を遂げてまいりたいと思います。


私は仏教徒ではなく、信心深い宗教心も持ち合わせていないので、盆と言う考えも社会人になってから数年経って何となく理解しているレベルです。
夏休み時期は軽井沢に親世代、祖父祖母世代が集まっていたので、その孫の一員として毎年各イベントに参加していた思い出が有ります。
振返りますと、この盆時期は精進揚げが毎年振舞われていました。
親世代は入れ代りで子供世代の面倒を見ていて、我が母親がいる場合にのみ送り火の説明を聞いたくらいでした。
私がこの時期に考えますのは、世間でも同様の傾向にあるかと思いますけど、大東亜戦争の終結についてです。
多くの自治体で8月6日、9日、15日にはある時間にサイレンが鳴り響き黙祷を捧げる機会が有るかと存じます。
私も祖国のために尊い命を投げ出された英霊に対して、深い哀悼の意を表することは継続しています。
現時点で有事が起こった際にも40を過ぎた私は元自衛官であっても即時呼ばれることは無いのかもしれません。
以前は40歳前までは有事の際に最初に声がかけられるものと考えており、40を過ぎた際にはその事について熟考もしました。 


戦争当時は40を過ぎた際に最前線においては、あまり役に立てなかったものと存じます。
多くの遺書も若い方の物が多く残されています。
今の自分よりも若い世代の方々が、次世代や遠い未来を考え、尊い命を投げ出された事実を我々は深く刻んでおかねばならないと思うのです。
彼等は戦争を好んで始めたわけでは有りません。
時代の流れもあり、避けられない事象も含め追い込まれていた事実も多分に有ります。
今の時代で考えると戦争回避の手は種々有ったのかもしれませんけれども、失った命は戻っては来ません。
時のリーダーに多くの責任が伴うのは当然ですけれども、我々の先輩が多くの物を投げ打ってでも残してくださったこの国家を我々は大切にしてかねば成らないと強く考えています。
国家観については多くの方で見識が異なっても良いと思っています。
統一される必要もないかとは思いますけど、歴史に習い、次世代をより良いものにする当事者として生きている我々が現役時代に出来ることは全てやっておくべきでしょう。


『平和』の反対の定義として『戦争』を挙げられる方も多数いらっしゃいますが、私は『混沌』であると考えています。
『戦争』は政治の一つの手段でしかありません。
この手段を取らないで済むように国民も一人一人が真剣に考えねばなりません。
また、環境に変化が有って祖国に尊い命を投げ出した場合に祖国が最高の栄誉をもってこれを敬するのかは国民が今も見守っています。
75年もの間、細かい紛争等は除いてこれだけ平和を享受できたことはとても有難く恵まれていたと考えています。
だからこそ出来ることに関して己の最善を尽くしきる必要があるのだと日々感じています。


COVID-19は多くの事を考えさせてくれます。
情報は逐次更新されており、バイアスのかかったメディアが一定の方向へ国民を無意識に操作するような行動をしていても自分の頭で考える人が増える機会になるものとも感じています。
高度経済成長期を経験したことが大きな仇になっていたのかもしれません。
今回のvirus騒動を通じて本当に大きなパラダイムシフトが起こるようにも予見していますけど、その後にも常に価値観に変化を加えるインパクトを受けて変化していくのでしょう。
『Fact Fullness』で語られた通り、人間の多くは生きた時間をベースに考えてしまいますし、カエサルの言う通り数千年前から『人間は見たいものしか見ない。』生物です。
これからもよりよい社会を創り出すためにそれぞれの立場で考え続けることでしょう。
必要なのは考えておくことだと思っています。
違う考えを持っていたとしても、議論をする機会を作ることは出来ます。
考えていなければ議論自体もすることが出来ません。
考えているのか、周囲に同調しているだけなのか、日本の歴史に刻まれた敗戦と言う悲惨な過去を通じてでも熟考する機会が、多くの場で生まれることを期待しています。
何より私自身が当事者として歴史と向き合い次世代に素晴らしい未来を残せるよう精進してまいります。

今年は梅雨明けが遅かったこともあり、例年よりも残暑は厳しいように見込んでおります。
体調管理含め、しっかりと自己研鑽にも努めてまいります。

今週頂いたメルマガの一つで『人生最後の旅だとするとどこに行きたいか?』と言うテーマが有りました。
最後の晩餐についてや行ってみたい旅先を言い合うことも多いように思いますけど、最後の旅行と言うテーマは私にはなんだか新鮮でした。

その時の心情によって異なりそうには思いますけど、私は最後に旅する際、現時点では行った事のある場所をイメージしました。
その希望の旅先は北海道です。
札幌ではなく私自身が育った十勝・大樹町に久しくいっていないのでその原風景を見たいと思いました。
行ったことのある場所を選んでも心にある原風景とは異なる景観が広がっている可能性が高いので、避ける向きは有るようにも思いますけど、今の私は新しい所を最後の旅に選ぶ信条では有りませんでした。


最後の旅を考えたことは今までなかったのでとても良い機会でも有りました。
選んだ理由なども考えてみますと、自分自身を内省する良い機会でもあると感じました。
COVID-19の影響で今後は早々気軽には海外旅行に行ける機会が減りそうにも思いますので、現実的にも近しく考えておいて良いようなテーマで有ると考えています。
この一年で多くの方の人生観は大きく影響を受けることと存じます。
日本国民においてもこの機に自分の頭で考える方が多く増えることを切に願う次第でも有ります。
未だメディア等の論調では、政府への対策に対する不信感やメッセージ不足を訴えている向きが多いように思います。
とても残念なことです。
COVID-19は現代を生きている人間にとっては未曽有の事態であり、政府の指導者でも正解を持っているわけでは有りません。
現在ある情報の中で、より確実に見える方法を選択していくのしかないのです。
未来から見れば、おかしな対応をしていると判断されることも沢山あるでしょう。
大切なのは日本人があまり好意的に使っているように感じない『自己責任』と言う考え方だと思っています。


世の中の不条理は無くなりませんし、環境を他人に変えてもらう事には限界が有ります。
どんなことでも自分自身の考え方や努力を変え続ける以外に未来を掴み取る方法は無いと考えています。
自分の人生は自分のものでしかなく責任も究極的には自分自身にしか有りません。
だからと言って、個人主義に走るべきと言っているわけでは有りません。
国や団体・組織などを言い訳にするのではなく、自分自身で情報を取り、都度判断をして後悔の無い人生を歩むために今ここを全力で生き続ける以外に人生を豊かにする方法は無いと確信しています。


人生に終わりは有ります。
その時を如何に迎えるか、想像をしっかりと出来ている人間は良い人生を歩めているように感じます。
それは人生の選択時に流される判断をするという間違えをおかす機会が少なくなるであろうからです。
まだまだ、私にはその覚悟が有ると明言できる立場にはありません。
それでも、今ここの目の前の現場をしっかりと生き続けるために、引続き常に学ぶ姿勢を崩さず、その学びを実践し続けてまいりたいと存じます。

以前に同期に教わった心から離れない言葉の一つが忘己利他(モウコリタ)です。
最初は片仮名での表現からスタートされたので全く違う意味合いの『もう懲りた』を話されるのかと思ったところ、タイトルの説明をされましたので、特に印象的であったのかもしれません。
江戸時代の藩学においても自己中心的な考え方が如何に危険で、孤立するかを説いていたそうです。
最も恥ずかしいことの一つが利己主義の考え方であったそうです。
これは環境が与えてくれる場合と自らで律さなければいけない場面とがあるのだろうと気付きました。
組織に属して居れば、同僚の為、先輩後輩の為など、普段お世話になっている方への感謝と共に自然と湧き上がる部分があるように思います。
齢を重ねて、組織から離れますととこのタガが途端に外れてしまう方も多数いらっしゃるようです。
老害と言う言葉は私にはとても恐ろしい言葉の一つに感じます。
特に組織内から老害扱いされるようになるのはとても残念なことのように感じます。


勝海舟の人物伝を教わっている中で、晩年近い勝が如何に志を失い、さみしい余生を送っていたことを知りました。
多くの伝記によれば若くして蘭語を習得したこともあり、海軍のトップを務め、庶民の為また諸外国に付け入る隙を与えないために、江戸無血開城に舵取りをしたと言う英断出来た人物です。
鎖国状態の中で相当に知見を持っていたので、未来が予見できたと言う類稀な才能をお持ちであったのでしょう。
40代で明治を迎えるは判断が出来たというのもそれまでの修養が如何に素晴らしいものであったかを感じます。
それでも目標を失った活力ある老人となると周囲に迷惑を掛けてしまうことに成りかねません。


生涯現役で常に自分の世代と身の丈に合った志を持ち、社会に貢献していきたいと思います。


今週は、覚悟と自信の漢字の成り立ちについても大変勉強になる知見を知ることが出来ました。
それは『覚悟』と『自信』です。
『覚悟』を改めて読んでみますと、悟りを覚えると書いてあり、良く『覚悟を決める』と言う表現をしますけれども、この背景には悟りの境地に達する程の修養が必要であることを示しています。
『自信』も同様に読みますと、自分を信じると有ります。その為には一度も嘘をつかず誤魔化していない自分が必要となるでしょう。


1.自分なりの武器を持つこと
2.時代を見通す力を持つこと
3.今ここに全身全霊を掛けること
4.天に任す度量を持つこと
以上を自分自身で実行できますよう努めてまいります。

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