飯塚オフィスには、義兄から頂戴した松下幸之助翁カレンダーが飾られて有り、朝礼ごとに読み上げて思考を深める活動を始めて5年程度が経過しています。


同じ言葉を聞いてもこちらの環境や成長により感想などが変わる事などに大いに感銘を受けているのですが、今回の表題は多くの示唆に富むといつも感じる言葉です。
世間が本当に正しい事などあったのだろうか?と思う事と世に認められなければ存在自体無かったものと等しいと考えさせられることが多いです。


同じような言葉で世論と言う物がありますが、私はこの言葉をほとんど信じていません。
振返ると世論で一番の総理候補になったと言う方々をみれば説明も不要に思います。
これは、世論を発表しているメディアがおかしいか、やはり世論がおかしいのだろうと思っています。


松下幸之助翁とお話ししたことは勿論なく、書物からの接点だけで大いに尊敬しているのですが、この『世間』と言う言葉の定義は何であったのか?聞いてみたいと思う機会が最も多く私の頭を巡ります。


中長期的に見ると世間は正しい評価をしているのだろうと思いますけれども、瞬間的にはやはり情報や能力の差がある以上、本当に正しい評価が世間でできるのだろうか?リーダーと呼ばれる人間は孤独の中でも進むべきなのではないだろうか?と考えます。


恐らくは、その前後に含まれていた文脈などがあって初めて理解できるものなのだろうと思っています。
新年度を迎えるにあたり、新たな行動を意識している中では、果たしていつ世間様にご理解いただけるような活動足り得るのかわかりませんが、信念に基づき行動をしていきたいと思います。
刹那的に生きるわけでは決してなく、現生での評価だけでは無く墓に入ってからの評価も意識して志高く邁進していく覚悟です。