最近、実家の整理中の部屋を覘く機会があり、その際に興味深い本を何冊か見つけました。
出所を両親に尋ねたところ祖母が読んでいたことが判明しました。
そう言えばと思い、実家の大きな書棚を改めて見てみると今まで買おうか迷った本や興味ある著者の本が沢山並んでいることに気づきました。
食堂からも見える所にあるので、今まで全く見ていながら、見えていなかったと感じました。


塩野七生さんが伝えるカエサルの言葉として『人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない』を自分自身に感じました。


最近、私にはよく出典元がわからない物の上記の『人間は欲するものしか見ない(見えていない)』を意識する機会が多いです。
皆、自分本位と言うだけでなく見えている世界は自分の目を通して、自分の感情を通じて認識している事ばかりです。
本当に客観的に物事を見るのは大変に難しく主観的要素をどこまで意識して物事を論じていくかの価値を考えます。
殆どの方が自分の人生を主体的に生きていらっしゃるでしょうから、現状の結果を他責にはされていない物と存じます。
ただし、弱き人は他責の感が強く見受けられます。
これでは、なかなか議論は噛み合わず、これだけ恵まれた日本でそのような発想をしている方々とは距離を置いておこうと以前から思っているのでそこはあまりい気に留めてもいません。


私にとって最近厄介だなと思うのは、「自分自身は物凄く正しいことをしているのに周囲が気付いておらず行動を共にしないので、残念だ」と言う論調の方です。
何をもってご自身が正しいと思っているのかは常に他者からの評価でなければ認められないだろうと私自身は感じていますので、周囲が気付きもせず動きもしないのであれば、
その最大の問題は自分自身の言動に他ならず、周囲からの指摘には謙虚に耳を傾けるしかないのだろうと思うのです。
特に個人の名前で個人の活動をされている分には影響は御自身にとどまりますが、団体で動いたりする場合は個人活動以上に周囲に影響を及ぼすことも留意しておかなければなりません。
事を成すには覚悟がいるという事を正しく理解してその信念を養い、一歩一歩を大切に歩んでもらいたいと願います。



全てにおいて原因自分説は精神の安寧を与えてくれるものと確信しています。
周囲のせいにできるのであればそれは簡単で短期的には落ち着くかもしれませんが、中長期的には結果も変わらず悪いことに繋がってしまいそうです。
心を閉ざさなければご自身の精神を保てないのであれば、少し静かにして頂いて周囲にまき散らすのは迷惑千万ですし、中長期的には御自身にとっての損にしかならないよう思います。
私自身が、そのように謙虚であり続ける為にも本棚を見ながら想いを馳せたことを記載しておこうと思った次第です。


人生は容易ではなく短期的ではありません。
それでもこのように生を受けたことに深く感謝をして次世代にとって少しでも喜ばれる中長期的な付加価値を提供したいと願います。