表題のことを父方の祖母に良く言われて育ちました。
今から10年ほど前に祖母は亡くなる時まで「世界の中の日本を考えなければならない。自分たちばかりがよいことなどあり得ないし、有ってはならない。富んでいるのであれば責任が伴う」と言う主旨の話をしていました。
これは、徳の話であり、戦後に食糧難を経験した後にバブル経済を体験した祖母にとっては日本だけが栄えていることに違和感を持ち続け、インドシナ難民などへの支援を皮切りに多くの慈善事業に邁進していました。


今般、手に取った本に「世界史としての日本史」(半藤一利、出口治明)がありまして、こちらは日本の流れを知るには世界の流れを知らなければならないという、至極真っ当で当然ともいえる視点に立ったものでした。
ただ、この真っ当なことをできていない日本人も私含め多数居ると言うのが、情けない現状だとも思います。


教科書で教わった日本史だけでは、正しい歴史観を持つことはできないであろうと思っています。
日本がどれだけ優れている国民性を有していたとしても、世界から見れば大国ではありません。
国土の7割も山岳地帯で住むにも耕作するにも恵まれても居ません。
バブル経済はあくまでも国防コストを外注化して、東西冷戦の不沈空母として西側最前線基地を有していたと言うことが大きな背景であって、日本人の優秀さがここに極まったわけではないでしょう。
勿論、多くの努力があったことも間違いありません。
ただ、当時は努力すれば結果が得やすい時期もあったので、短絡的な思考に支配された弊害もあったようにも思います。


日本の国体が大きく変わったのは、大化の改新、鎌倉開幕、明治維新であったかと認識しておりますけれども、これらも諸外国の影響を受けていることは多分にあります。
蒙古襲来も神風話が多いですが、それ以降の蒙古自身の国力低下も三回目の襲来を生まなかったと言う事実もあるでしょう。


世界各国には、国ごとの背景や事情があります。
それらを正しく把握することに努めなければ、ワンイシューで片付くことなど無いでしょう。
お隣の半島は大分情勢不安が高まっていますけれども、この地域も地政学としての半島ならではの不安定さに加え、建国にいたった背景、土地が持っている歴史まで読み取っておかないと誤った対応をすることになりかねません。
やはり知識は重要だと思います。
それ以上に大切なのは知恵とそれを活用する覚悟ですが、浅はかな知識の上に行動力だけがあっては、周囲に迷惑をかけるだけになってしまいます。
『知識の集積からしかアイデアは生れない』とは西部技研で教わった言葉ですが、最低限の知識・教養がある上で、覚悟と行動力が備えられる必要があるのでしょう。


日本がこれまで侵略された歴史が少ないのは、辺境の地であったことにも起因していると思います。
更には、歴史上、特段目立つこともなく、特産品なども無かったことも大きいのでしょう。
大東亜戦争終結後は、経済力で世界の注目を集めた事実があります。
興味を持たれた以上、政治侵略を覚悟する必要があり、この70年だけの歴史を見ていては大いなる過ちをしてしまうことでしょう。


世界の中の日本がどのように立ち振る舞うべきなのかを少なくともリーダーは考え続けなければなりません。
『逆説の十か条』でもありますが、『それでもなお、』で我々にはやるべき事があるのだろうと確信しております。
これは教育勅語にある臣民とともに一にすることではなく、気付いてしまった者の使命であり、少数でも世界を変えられると信じ続けて、諦めることをあきらめた、リーダーに課せられた有難い物なのだろうと確信しています。
能力だけではなく、志と信念が世界をよりよい物に変えられるのだと確信してまして、周囲に感謝をして、努力を継続してまいります。